微笑みの国で雨にウタレテ・・・90′s 其ノ壱

長編なんですが、蓋を開けてみると、
結局はオチなどない、、
長編オモシロクない昔実話的旅情物語です。。

—————————————————————-


俺がタイに初めて来たのは1996年の夏のことであった。

大学も3年生となり、今までの2年間の、あのマヌケだが、常に誰に気を使う
こともなくそのまんま生きるエネルギー、若さゆえのエネルギーを発散しま
くっていたドタバタ寮生活から離れ、実家から新宿までの約2時間を満員
電車に揺られ、なんとなくだが都会の殺伐とした空気に否応なしに苦しめられ、
新宿駅の地下道を通れば、帰る家がないと思われる浮浪者さん達の発する
匂いと罵声に気が滅入るという生活になって、やっぱりトコトン気が滅入る
ことがアタリマエのようなっていた。
 
運が悪い日なんかは、常磐線(普通)の臭い車両にぶち当る時があって、
そんな日はたまらないのである。水戸方面から来たと思われるオヤジさん達が
ボックス席で朝っぱらから酒を飲んではイカを喰い、その悪臭をあたりに
撒き散らしているのだ。
 
ただえさえ、満員でぎゅうぎゅう詰めであり、密着して汗臭くなったりして
気分が悪くなるのに、これまた満員の山手線をやっとこさ降りると、
しょんべん臭い浮浪者さん達の櫓の中を歩いて行かなければならない。
 
やがて、都庁に向かう「歩く歩道」建設工事のためと、浮浪者さん達による
地下道放火未遂事件かなんかで、溜まっていた浮浪者さん達はどこかへ
消えてしまったが、居なくなった後を見てみると大して変わらない光景が
目に入る。
 
生気のなさげなウツロウツロしながら、でもあくせくと足早に歩いていく
無表情な人達。
外人が道を聞こうとしても、平然と「NO!」とか言いながら、去っていく
とあるお役所の職員らしき人物。
 
そんな都会の殺伐としたコンクリートの冷たさのような人間空間に
毎日のように通っていると、元々田園育ちの俺にとってはすごく
神経の疲れることであり、またあんな人間の吹き溜まりのような所に
いると気が滅入り、目がグルグルと回り気持ち悪くなる俺がいたのである。
 
まともに前も見れず、なんとか周りを見回してみても同じ日本人ばかり。
なんとかこの環境や空間、状態から抜け出すべく方法はないだろうか??
だんだんと俺はそんなことを考えるようになったのである。
 
そんな時、友人のナリタヒデキが、
「よ~、タイへ行ってみないかい??ふぅ~むむむ」
なんて、ある日言い出した。
タイと聞いてイメージできたものはない。
それほど「タイ」という国に対して、東南アジアに関して、いやいや
海外に対して無知な俺であった。
 
ナリタヒデキとの出会いも面白いもので、学生寮に入寮したばかりの
オリエンテーションの時に、ナリタが突然、俺と友人のピンに向かって、
「君たち、、営団地下鉄千代田線の明治神宮前駅はJRでいうと何駅に
あたるのか知ってるぅぅぅ??」
 
と聞いてきたのである。唖然とする俺とピンとその周囲が居たことは
明確であった。

「そうだよぉぉお、、君たちに聞いているんだよねぇ・・。ふむふむ、、簡単な
クエスチョンだよぉお。もう一度、最初から言った方がいいみたいだねぇえ~
君たちには。ふ~むむむ、、。営団地下鉄千代田線の明治神宮前駅はJRで
いうと何駅にあたるのか知ってるぅぅぅ??」

ピンは「ケケケケケケ」と言いながら「原宿だろう!」と答えた。
俺は実家が関東圏であるのにも関わらず、分からなかった。
 
ナリタヒデキは、顎を掻きながら「ふ~むぅぅぅむぅう~よ~く知ってるねぇぇえ~」と



言いながら、不気味なケタケタ笑いを残しながらその場から消えていったのである。
 
そんな「フムム」のナリタヒデキと共に、俺は1996年の夏、タイを約1ヶ月ばかり


ドタバタハラハラと旅をしたのである。
 

(つづく・・・)

コメントをどうぞ