‘2014/10’ カテゴリーのアーカイブ

微笑みの国で雨にウタレテ・・・90′s 其ノ七

2014/10/13

俺達が入ったゲストハウスは「サワディーゲストハウス」と言った。
1階がラウンジっぽくなっており、そこで飲物も注文できた。
10席程のテーブルがあり、その奥にゲストハウスのレセプションがあり、
気だるそうにタイ人スタッフが座っていた。

入り口の左側にカウンターがあり、そこには黒人が一人ポツンと座りながら
カウンター向こうのスタッフらしいタイ人女性と話し込んでいた。
ここに泊まるファラン(欧米人)は、ここで働くタイ人ウェイターを口説くことが
好きらしく、「彼女達もマンザラではないらしいぜ!」と、そんなことを町田君が
言った。
 
部屋を見せてもらったが、所謂、ゲストハウスの一室であり、カビ臭いし、
暑いし、ファンがやたら効かない等々、どーせ女性を案内するなら
最低三ツ☆のホテルにしろよ!と言わんばかりの部屋なのだが、
そんなことを俺がどーこー思っても、所詮、どーでもいい話であった。
 
正面の寺院は、ワット・チャナソンクラムといって物音一つしない夜の静けさを
象徴するような様相を呈する寺院だが、ノラ犬の溜まり場になっているようで、
奴らのヤケクソに吠える音が夜の静けさをぶち壊していた。
 
寺院を囲むようにゲストハウスが立地しており、特にこのエリアは、
カオサンの喧騒と、カオサンの日本的集団行動型団体を嫌っているような
ファランがよく利用しているようだった。
 
俺達はとりあえず店の奥へは入らず、路地沿いのテーブルに座った。
隣の席はドイツ人カップルらしく、男性は何か手紙のようなものをひたすら
書いており、女性の方はそんなのおかまいなし的に自分の本を読んでいた。

「もー長いこと二人で旅しているのだろうか?せっかくの夜なのに
喋りもせず、ただひたすら自分の事に徹して何がオモシロイんだ?」

などと、まだまだ未熟で大人の入り口にも入っていない俺は、ただただ単純に
そんなことを思った。
 
俺は懲りる事無くシンハビアを注文した。ナリタヒデキとオキ君はハイネケンビア。
町田君は「PLESE WAIT!!」などと言いながら結局はシンハビアを注文した。
 
夜も大分更けてきただけあって、風がさっきよりもさらに心地良くなった。
カオサンの喧騒の音は聞えてこない。ヤケクソに吠えていた犬もどこかに姿を
クラマシタようであった。

時折、カオサン通りとワット・チャナソンクラムの間のチャクラポン通りを
ハイスピードで走るバスやモトサイの音が聞えてきたが、酔いも深くなって
きただけあり、ほとんど気にならなくなっていた。
 
山形の大学の工学部に通う町田君がタイに来たのは、俺とナリタヒデキが
来る約2週間前のことであった。今回の旅は約1ヶ月とのことで、主な目的は
バカンスである。

町田君は一人旅であった。
「俺って一人でいることがダメなんだよ。タイには一人で来たけどさぁ、一人で
行動するのは嫌いなんだ。淋しがり屋なんだよね。だから泊まった宿で見かけた
日本人に声を掛け、イキナリ「サムイ島へ一緒に行こーぜ!」って誘ったんだべ。
バンコク来て4日目くらいだべ。」 

と、なんだか急に町田君の方言が露骨に表われるようになってきたことも
気になった。旅も中盤に差し掛かり疲れているのかもしれないな・・とそんなことを
思った。
 

旅にはいろいろなスタイルがある。
一人旅、二人旅、集団旅、所謂パック旅行などなど。
一人旅でも、旅の過程でそれが複数旅になっていくこともある。
でも大抵の場合、その個人々々の基本スタンスはやっぱり「一人」だ。
最後まで終始一人旅に徹していた旅人にも多く出合った。
また反対に、出国は一人で自称「一人旅」だが、現地にて仲間を作って
帰国まで誰かと行動を共にする・・・というスタイルの人もいた(少数派だが)。
町田君がこのタイプの旅人だった。
 
町田君は、さっそくバンコクの宿で知り合った日本人と一緒に深夜バスに乗り込み
一路、バンコクから南へ700kmの港町:スラー・ターニーへと向かい、そこから
ボートで約2時間の南国の島:サムイ島へ行ってきた話を話し始めた。

サムイ島では毎日飲みまくり、ろくな観光もせず毎日ダラダラと日々を喰い、
たまに海へ行って泳いではビールを飲み、砂浜で強烈な日差しを浴びながら
テキトーに肌を焼き、その肌を持って、夜はディスコに出向き、地元の
ねーちゃん達をナンパしていたよ・・・

というような話だった。南国の島の経験がグアム島しかない俺の中の、サムイ島
へのイメージが良くも悪くもエネルギッシュ的に膨らみ、次はサムイ島だ!などと
単純な俺は自分の中ですでにそう決めてしまっていた。
 
町田君一行は、サムイで一番賑やかなチャウエン・ビーチ一帯を行動範囲に
していたらしい。このビーチに洒落たバンガローやバーやレストラン、みやげモノ
ショップやディスコ等が集まっているため、観光客はほとんどここに集まる
らしいのだ。ツアー客は勿論、個人旅人も多いらしかった。

 
そんなある日、町田君は同じくサムイ島に旅行に来ていた台湾女性と知り合った
らしいのだ。
 
 
(つづく)


*「この物語は100%ノン・フィクションですが、登場する
 人物名及び団体名はフィクション(仮名)です。


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やたらと町田君シリーズが長いですね。
今、町田君はどーしているのでしょうか?オキ君は?
旅途中で知り合った人と、その後も長く音信通であることは
滅多にないですよね。
知り合ってアドレス等を交換した人達の中で大部分の人とは
すでに音信不通です。
今でも連絡を取りあっている元旅好人(旅好き)はいますが、
でも、ごくたまにです。。
 
中には今でも世界のどこかを旅している、旅を継続している人が
いるかもしれません。
 
昔、インドのプリーという街で知り合った人と、10ヶ月後、
僕の再びの旅行の中で、偶然、ある路地ですれ違ったのは、
初めての経験だったのでとてもびっくりしました。
 
よくある話みたいですね。
ある方も、ある中東のある街で知り合い、その3年後、今度は
中国を旅している時に、3年前中東のその街で知り合ったその人と
偶然逢ったとか!
それも旅の面白さ、醍醐味の一つかもしれません。

微笑みの国で雨にウタレテ・・・90′s 其ノ六

2014/10/02

バンコクに降り続く雨季の雨がやけにジメジメしていた。
1996年も8月になったばかりの時であった。

俺とフムムのナイタヒデキはアイカワラズ日中はバンコクの街の中を歩きまわり
夜は外の屋台でタイ飯を喰いながらホンノリ苦いシンハビアを飲んでいた。

日本から同じように旅で来ている俺達と同世代の若者達も多くおり、時折
街中ですれ違った。皆、同じようなスタイルでバッグ一つで旅をしているようだった。



中には40代50代で会社を退職し、長いこと海外を放浪しているような中年の
方々もいた。軽い服装と必要最低限の荷物、その身軽さは20代になったばかりの
俺達を凌ぐばかりで、そのスタイルも旅の深さも、そのあまり多くを語らない
笑顔からなんとなく感じ取れることが出来た。

夕立が止み、心地よい風が街に吹き始めた。
ノラ犬も活動を開始し、それと共に街を徘徊する人間も増えてきた。
いろんな屋台も顔を出し始め、ネオンの光も派手に辺りを食い散らかしている。
でも、そんな明るさとは別に、確実に夕刻の闇は深さを増してきた。

ふと知り合った、同じく決まった予定のない旅をしている連中と会ったのは、
ナリタヒデキと屋台でダラダラとビールを飲んでいる時であった。

3輪バイタクのトゥクトックのオヤジと排気音がアイカワラズうるさかった。
「アタミ~!アタミ~!?」と声をかけて来る奴等のそのニヤケタ顔が妙に鼻に
ついた。
「微笑みの国とは言うけれど、奴等の微笑みも『微笑み』の部類に入るのか?」

と、初タイの俺は戸惑うばかりであった。

知り合った彼らもバンコクを拠点に旅をしているという。
山形から来た大学生の町田君は、俺達よりも4つ上のセーネンだった。
背が高く、はっきりした口調が印象的で、タイ人に対しても

「サ・ワ・デ・ィ・カ・ッ・プゥゥ!」

と一言ひと言はっきりと言い、言われたタイ人の方も

「おっほぉおお」

とびっくりするくらいのサワディ・カップであった。
さすがの微笑みのタイ人も、なんとなく顔がひきつっていた。

「2浪2留しちゃったけどさぁ、それはそれでスムーズにいっていたら
 見えてなかったものが見えてくるものなんだよね。」

と、どうやら

「そんなことはどーだっていいじゃん!要は先、先!これからコレカラ」

と言う彼の口振りが妙に心強く見えた、まだまだ未熟な俺がいた。

町田君と一緒に居たのは、静岡在住の大学生のオキ君であった。
オキ君を初めて見た時は、「あ!俺この人と会ったことあるよ」と
いうのが第一印象であり、そんなことをオキ君に言うと、

「それいつも会う人会う人に言われるんだよ。最初は気にしてなかったけど、
 頻繁に言われるもんだから、だんだんと気にしだして色々理由を模索
 したんだけれど、どうやら昔のナントカというマイナーな、ても見れば
 ワカルという俳優に似ているからだ!という結論に達したんだ」

と、町田君とは違って、妙に落ち着きのある口調で語った。

「そうか・・そう思われるのは、そういう理由かもしれないな。」

と、俺はそのナントカという 俳優の顔を思い浮かべながら、
でも名前は浮かんでこなかった。

オキ君はうちらより1歳年上で大学では教育学部で勉強し、
将来、高校の先生になるのが目標のセーネンだった。
専門科目は国語であった。

オキ君の旅は6ヶ月に及び旅らしく、うちらよりも一足先、1996年の6月に
日本を飛び出していた。
4年生になったばかりで周りは就職活動に追われる中、オキ君は休学して
6ヶ月の旅に出ているという。
6ヶ月というのも曖昧な予定らしく、それが1年にも及ぶ可能性もあるという。
明日の風に身を任せ~気の向くまま赴くまま~というのが 彼のスタイルのようだった。


すでにタイ第二の都市、北部に位置するチェンマイに行ってきたばかりで、

「いや~チェンマイは涼しかったデスヨ。やっぱりバンコクと違い、落ち着くよ。
 あとは自分で実際に行って見てよ。『百聞は一見にシカズ』だよ」

と、やっぱり国語の先生を目指しているだけのことはあることを言っていた。
そんな話を聞いていて、俺的にもチェンマイへの魅力が一気に高ぶった。
でも、結局は、今回も次ぎの旅もバンコクから南下してしまうのだが。

オキ君は、これからの予定は特に決めていないと言っていたが、次ぎは
インドに行こうという事は ぼんやりと考えていると言う。
ここで同じくインドに焦がれるナリタヒデキが

「ふむむ、、ソウデスヨネ。やっぱり旅の醍醐味はインドデスヨネ。
 タイよりも喧騒がすごくて人間がきついのだ、ふむむぅう。
 僕もインドを 旅してみたいのですよ。世界の中心と言うじゃないですかインドは。


 人間の根底が見える気がするんデスヨネ。騙されるのも騙される方が悪い!
 騙し合いの中に人間存在の本質が見えてくるのだ!
 生か死!それはインドじゃなきゃ駄目ナノだ!ふむむぅうう」

と、いつものフムム口調とは打って変わって、新たな生きがいを見つけたのだ!的に
周りの皆がひくほどの「人生=旅、男一匹=旅」論だった。

「そうかもしれないね。そうそう」

と一言だけ、オキ君は言いながら、深くかぶっていた白い帽子を被り直した。

「そんなん気にしないべ!人生長いよ、インドだけじゃないべ、人生は」

と、その辺のタイ人をカラカッていた町田君は、今俺達はタイに居るんだからよ!
面倒くさい話はナシにしようや!という感じで、すでに生ぬるくなったシンハビアを
ひたすら飲んでいた。

その後、同じ場所で同じビールを飲みつづけることに飽きた俺達は場所を
移動することにした。
深夜までうるさく音楽がガンガン鳴り響くカオサン通りをやめて、 少し離れた
静かな寺院の脇のソイを入った所にあるゲストハウスのラウンジで
飲みなおすことにした。

そこで、町田君は今日までの旅物語をはじめて口にしたのである。

 
(つづく)