‘2012/10’ カテゴリーのアーカイブ

キンヂェー

2012/10/22


ただ今、キンヂェー(菜食)期間の真っ只中!

殺生をせず、体内をも浄化するといったことを目的として、
肉魚類、ミルク、卵をはじめ、野菜や果物でも臭いがきついもの、
味覚を強く刺激するスパイスや調味料を使った料理までも断ち、
さらにはアルコールを摂取せず、白い服を着るといった
つまるところ夜遊びもしない慎ましやかな日々なのです。

元々は中華系の人々の行事ですが、そんなことはあまり気にせず
いつもどおりの食事をとる中華系タイ人もいれば、この機会を利用して
デトックスをしようと個人的にキンヂェーを行うタイ人もいます。

あまり肉への執着がなく、日本でも精進会席料理を食べに行く日は
むしろ楽しみでしょうがないくらいの私ですが、全くもって興味なし。

理由は明確に2つあって、禁食材料を使用していないことを表す
「齋(เจ)」の黄色いマークが美しくなく萎えさせてくれることと、
味覚の寂しさを補うためか油ギトギトな料理が多く、
そもそも何がしたかったのだろうと疑問を抱いてしまうことです。



スーパーでも、スナック菓子コーナーにはためく「齋(เจ)」の旗。
確かに肉類は使ってないけど、それって・・・どうなの?
日本の醤油やヨーロッパのオリーブオイルにも「齋(เจ)」のシール。
ボトルデザインや異国の雰囲気も台無し、心の中の何か大事なものを
奪われてしまったような気分に陥ります。
よって、おのずとマークのない食品に手が伸びるというもの。

郷に入っては郷に従えという言葉と、魂は売れないという気持ちが
葛藤しては後者が勝つ、私には何年経っても慣れない行事です。


タイでの運転適性検査。

2012/10/06

当地で車を運転していて、遭遇するケースを記してみました。

以下を想像してみて、ご自身のイライラ度をご確認ください。



自分が煎餅みたいにならなくてよかったです。保険には加入しましょう!







①    信号待ち。あなたの車は5台目です。信号が赤の時間が180秒なのに対して、青信号は20秒しかありません。

信号が青に変わりましたが、先頭の車がゆっくり発進した時点で残り5秒しかありません




②    制限時速100キロの高速道路で、日本でいうところの「追い越し車線」を走っていますが、あなたの前の車は

時速70キロくらいで走っています。他の車線の車も同じようなスピードで、追い抜くことができません。

あなたの前の車が、道を譲ってくれる気配がないので、パッシングをしてみましたが、気づかないのか無視しているのか、

車線を変えません。それであなたはずっと70キロで走り続けることになり、後続の車も鈴生りになり始め・・・



③    片側1車線しかない道路。特に渋滞はしていませんが、あなたの前の車は携帯電話で楽しそうに話しながら、

ずっと時速10キロくらいで走っています。



④    カーブ地点。対向車が大きくあなたの車線にはみ出して向かってきました。もうちょっとで衝突しそうになり急ブレーキ。



⑤    あなたの左の車線を走っている車が、左のウィンカーを出しながら、あなたの車の前ギリギリに割り込んできます。なぜ???



⑥    バイクがあなたの車の左後方ギリギリを走っています。先の信号が赤になったので減速しはじめたところ、

そのバイクはあなたの車を追い抜いていきますが、バイクのミラーがドアミラーに接触して「ゴキッ」という音を立てました。

後で見ると塗装がはげてしまっています。

⑦    T字路の突き当たり。前の車はなかなか左折しようとしません。どうもこの車は、左折したあとに右側車線に

移りたいようです。「まず左折して→車線変更」すれば全く問題無いのですが、「左折と同時に右側車線に

入れる」タイミングでないといけないようです。どうも頭の中のシーケンサーがそのように出来ているようです。



[適性診断]

・特にたいしたことはない ・・・ ご立派です。

・ちょっとイライラするが、がまんできそう

・・・ 慎重に運転下さい。イライラを鎮めるためイオン発生機取り付けをお勧めします。

・かなりイライラしそう ・・・ ドライブは運転手さんに任せるか、タクシーご利用で。    By Hira

微笑みの国で雨にウタレテ・・・90′s 其ノ弐

2012/10/01

「フムム」のナリタヒデキとのタイをはじめとする東南アジアの旅は、
俺にとっては初めての経験であり、勿論「バックパックで」という形態も
新鮮ではあった。
 
でも、妙なぎこちなさと、不安と、そして「流行旅行にモロに乗っかっている」
という思いのそれぞれが、自分の中で交錯はしていた。

だけど、別に「貧乏旅行」という意識も、「新しい自分を見つけるためなのだ!」とか
「自己実現・啓発のきっかけなのだ!」という目的も何もなしに、ただ
「タイを廻ってみよーぜ!」くらいの気概であったのは確かだ。

周りを見回してみても同じ日本人ばかりの慣れきった気だるい環境や空間、
状態から一時的に抜け出すだけのものだったのである。

でも、今までに、俺自身で何かをコーディネイト&クリエイトしたという経験もなく、
且つ目的のために何かに没頭したこともない、ただの腰抜け的な輩である事を
結構自覚していたのは確かで、無意識の内に、なんとかそんな自分を
打破してー!というような思いもあったかもしれない。


離陸した直後に、機内の庇が、「カタカタカタカタカタカタ」と閉まっていく
旧型のビーマンバングラディッシュ航空に乗り込んだのが1996年の
7月下旬、ちょうどタイは雨季真っ盛りの頃であった。
 
ナリタヒデキにとっては2回目のタイらしく、俺にとってはフランス、
サイパンに続く3回目の海外である。しかし、1、2回目ともツアーで
あったので、今回が初めての、その当時、妙に流行っていた
バックパックでの旅であった。
 
そう言えば、初めての海外で遭遇した事件と言えば、初めての海外旅行先
のフランスのパリだった。12月の真冬時に、プリズンのような学生寮の
仲間等とパリのコンコルド広場を歩いている時である。

コンコルド広場は、実際はクルマがびゅんびゅん走っていて、広場というより
ロータ リーのようで、うちらにとってはモンマルトルの丘に向かうための
通過点に過ぎなかったのだが、俺の目には、ふと広場の隅にお土産屋風の
露店が目に入ったのである。 
 
トコトコと、吸い寄せられるようにマヌケ面して露店に近づく俺。
すると露店の近くに来たところで、浮浪者風のメガネ野郎が1人で近づいて来た。
俺の前に立ちはだかると、急に俺に有無を言わせぬままカシャカシャ・・・と
写真を取り出したのである。

唖然とする俺であったが、マヌケ面の俺もここフランスでは受けるのだと!
寒さでアタマがヤラレていたのだろう。その男の言うなりに、ポーズを
決めていく。

「そうか・・・どこかの雑誌カメラマンだな。」

そんなこと思いながらニタニタしていると、突如、アンドレ・ザ・ジャイアント
みたいな大柄の男共二人が俺を囲みだしたのである。
瞬く間に3人の風来坊に取り囲まれ動揺する暇もなく、一人の男が
ダンボールに書かれた料金表と思われるボードを出した。

そこには「写真4枚:400フランだ!」みたいなことが書かれていた。

「えあうううぅうぅうああええええええ」

なんてもがいていると、カメラを持った男が俺に写真を手渡した。
なんじゃぁああ?これは?
全部のポラロイド写真のピンとがズレ、ぼやけては色も薄い・・・。
こんな写真1枚が100フラン=当時で約2,000円かい・・・。
 
アンドレ達に凄まれた俺は、何も言い返すこともすることも出来ず、
他の仲間が「おい・・バカだなアイツ」みたいなニタニタ顔でこっちを見て
いる中、「早く400フランださんかい!こらぁ~!」などとフランス語で言われて
いるのだなぁなんて思いながら、対盗難用に重装備した隠し財布から
400フランを渡す他なかったのである。
 
その後のウスラバカ仲間達の反応は、ニタニタ笑いでの

「あ~あぁぁあ(ひひひ)」

のそれだけであった。

特にナリタヒデキのリアクションはひどかった・・・。
「フムム・・・自業自得だよ。こーいう経験も今のうちに、ということなのだよ。
学習々々!でも、やっぱし自業自得さ!そうか、、あーいう露店は
カモフラージュということなのダネ。ふむむ、、かわいそ~にぃい」
 
とにかく、海外初体験で海外の何もかもに新鮮さを感じていた俺に
とってはショックな出来事であり、その後、その夜に食べた生ガキに
モロにあたり、行きたい所も行けぬまま、熱を発症したまま日本への
帰路に着いたという一つのマヌケな思い出と、ウスラバカ仲間達の
冷たさである。


(つづく・・)