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微笑みの国で雨にウタレテ・・・90′s 其ノ六

2014/10/02

バンコクに降り続く雨季の雨がやけにジメジメしていた。
1996年も8月になったばかりの時であった。

俺とフムムのナイタヒデキはアイカワラズ日中はバンコクの街の中を歩きまわり
夜は外の屋台でタイ飯を喰いながらホンノリ苦いシンハビアを飲んでいた。

日本から同じように旅で来ている俺達と同世代の若者達も多くおり、時折
街中ですれ違った。皆、同じようなスタイルでバッグ一つで旅をしているようだった。



中には40代50代で会社を退職し、長いこと海外を放浪しているような中年の
方々もいた。軽い服装と必要最低限の荷物、その身軽さは20代になったばかりの
俺達を凌ぐばかりで、そのスタイルも旅の深さも、そのあまり多くを語らない
笑顔からなんとなく感じ取れることが出来た。

夕立が止み、心地よい風が街に吹き始めた。
ノラ犬も活動を開始し、それと共に街を徘徊する人間も増えてきた。
いろんな屋台も顔を出し始め、ネオンの光も派手に辺りを食い散らかしている。
でも、そんな明るさとは別に、確実に夕刻の闇は深さを増してきた。

ふと知り合った、同じく決まった予定のない旅をしている連中と会ったのは、
ナリタヒデキと屋台でダラダラとビールを飲んでいる時であった。

3輪バイタクのトゥクトックのオヤジと排気音がアイカワラズうるさかった。
「アタミ~!アタミ~!?」と声をかけて来る奴等のそのニヤケタ顔が妙に鼻に
ついた。
「微笑みの国とは言うけれど、奴等の微笑みも『微笑み』の部類に入るのか?」

と、初タイの俺は戸惑うばかりであった。

知り合った彼らもバンコクを拠点に旅をしているという。
山形から来た大学生の町田君は、俺達よりも4つ上のセーネンだった。
背が高く、はっきりした口調が印象的で、タイ人に対しても

「サ・ワ・デ・ィ・カ・ッ・プゥゥ!」

と一言ひと言はっきりと言い、言われたタイ人の方も

「おっほぉおお」

とびっくりするくらいのサワディ・カップであった。
さすがの微笑みのタイ人も、なんとなく顔がひきつっていた。

「2浪2留しちゃったけどさぁ、それはそれでスムーズにいっていたら
 見えてなかったものが見えてくるものなんだよね。」

と、どうやら

「そんなことはどーだっていいじゃん!要は先、先!これからコレカラ」

と言う彼の口振りが妙に心強く見えた、まだまだ未熟な俺がいた。

町田君と一緒に居たのは、静岡在住の大学生のオキ君であった。
オキ君を初めて見た時は、「あ!俺この人と会ったことあるよ」と
いうのが第一印象であり、そんなことをオキ君に言うと、

「それいつも会う人会う人に言われるんだよ。最初は気にしてなかったけど、
 頻繁に言われるもんだから、だんだんと気にしだして色々理由を模索
 したんだけれど、どうやら昔のナントカというマイナーな、ても見れば
 ワカルという俳優に似ているからだ!という結論に達したんだ」

と、町田君とは違って、妙に落ち着きのある口調で語った。

「そうか・・そう思われるのは、そういう理由かもしれないな。」

と、俺はそのナントカという 俳優の顔を思い浮かべながら、
でも名前は浮かんでこなかった。

オキ君はうちらより1歳年上で大学では教育学部で勉強し、
将来、高校の先生になるのが目標のセーネンだった。
専門科目は国語であった。

オキ君の旅は6ヶ月に及び旅らしく、うちらよりも一足先、1996年の6月に
日本を飛び出していた。
4年生になったばかりで周りは就職活動に追われる中、オキ君は休学して
6ヶ月の旅に出ているという。
6ヶ月というのも曖昧な予定らしく、それが1年にも及ぶ可能性もあるという。
明日の風に身を任せ~気の向くまま赴くまま~というのが 彼のスタイルのようだった。


すでにタイ第二の都市、北部に位置するチェンマイに行ってきたばかりで、

「いや~チェンマイは涼しかったデスヨ。やっぱりバンコクと違い、落ち着くよ。
 あとは自分で実際に行って見てよ。『百聞は一見にシカズ』だよ」

と、やっぱり国語の先生を目指しているだけのことはあることを言っていた。
そんな話を聞いていて、俺的にもチェンマイへの魅力が一気に高ぶった。
でも、結局は、今回も次ぎの旅もバンコクから南下してしまうのだが。

オキ君は、これからの予定は特に決めていないと言っていたが、次ぎは
インドに行こうという事は ぼんやりと考えていると言う。
ここで同じくインドに焦がれるナリタヒデキが

「ふむむ、、ソウデスヨネ。やっぱり旅の醍醐味はインドデスヨネ。
 タイよりも喧騒がすごくて人間がきついのだ、ふむむぅう。
 僕もインドを 旅してみたいのですよ。世界の中心と言うじゃないですかインドは。


 人間の根底が見える気がするんデスヨネ。騙されるのも騙される方が悪い!
 騙し合いの中に人間存在の本質が見えてくるのだ!
 生か死!それはインドじゃなきゃ駄目ナノだ!ふむむぅうう」

と、いつものフムム口調とは打って変わって、新たな生きがいを見つけたのだ!的に
周りの皆がひくほどの「人生=旅、男一匹=旅」論だった。

「そうかもしれないね。そうそう」

と一言だけ、オキ君は言いながら、深くかぶっていた白い帽子を被り直した。

「そんなん気にしないべ!人生長いよ、インドだけじゃないべ、人生は」

と、その辺のタイ人をカラカッていた町田君は、今俺達はタイに居るんだからよ!
面倒くさい話はナシにしようや!という感じで、すでに生ぬるくなったシンハビアを
ひたすら飲んでいた。

その後、同じ場所で同じビールを飲みつづけることに飽きた俺達は場所を
移動することにした。
深夜までうるさく音楽がガンガン鳴り響くカオサン通りをやめて、 少し離れた
静かな寺院の脇のソイを入った所にあるゲストハウスのラウンジで
飲みなおすことにした。

そこで、町田君は今日までの旅物語をはじめて口にしたのである。

 
(つづく)

微笑みの国で雨にウタレテ・・・90′s 其ノ五

2014/09/29

その日は日曜日であり、モー・チットという空港方面にあるにウィークエンド・
マーケット(チャトチャック)に行こうということになった。
今ではBTS(高架鉄道)で簡単に市内から約20分程度で行けるが、その
当時は、バスかタクシーでないと行けなかった所である。

市バスでの所要時間は、バンランプーから乗って約1時間半掛かるものだった。
BTSの建設工事や、地下鉄工事等々の影響、そして交通システムも今ほど
機能していなかった時であり、且つ車の量が半端じゃなく、その距離を移動する
だけでも1時間半くらい掛かってしまうのであった。
 
市バスで行くと、停車ばかりで時間は掛かるし、どうせ座れず慢性的に混んで
いるのが分かっていたから、俺的には手っ取り早くタクシーでびゅん!と
行ってしまいたかったのだが、その男ナリタヒデキは、
「ドコマデ行っても3.5バーツ!」に魅力を感じ、いくら時間が掛かろうとも、
100バーツ(二人で)を越すであろうタクシー代を払うのならば、市バスの方が
はるかにいいし、旅の醍醐味が味わえると言って聞かないのである。

「マジかよ・・・」(俺)

「ふむふむ、、いいよ。だったらタクシーで行けばいいじゃん。僕はバスで
行くからさ。でも行きかたとか場所知っているのかい??」

そうなのである。。俺はとてつもなく方向音痴であり、且つ面倒臭がり屋で
あるため、場所とか行きかたを一切自分で調べようとはしない奴なのである。
そこらへんはすべてナリタヒデキに委ねていたから、そんなことを言われて
しまうと何も言えなくなってしまうのである。。

「しょーがねぇ。。しょーがねぇ。。」

と呟きながら、渋々トボトボと後をついていくしかない情けないナマケモノで
あり、結局、1時間半も立ち続け揺られ続けた挙句、チャトチャック・マーケット
に着いた時にはすでに疲労困憊しており、ろくに露店も見れないまま
何も買う気も起こらず、ダラダラと歩くだけの羽目にあってしまったのである。
 
「そんな一人当たり5,60バーツケチって時間かけて、辛いルートで行くよりも
合理的且つ迅速・楽に目的地に着いて、そこで自分の目的を果たしたり
楽しんだ方がぜってぇいいに決まっている!」

とその時は自分自身に言い聞かせていたものである。
 
流れゆく景色も、ショップハウス(長屋)ばかりで、飽き々々してしまい、
隣を見れば、ガイドブックを読みあさるナリタヒデキ。席に座る阿呆面の
タイ人やさ男に、揺れてもびくともしないがっしりした天然パーマのおばちゃん。
混雑にモミクチャにされている学生風のポニーテール少女等。
用はタイ人観察はできる環境ではあったのだが、でも微笑みの国とは似つかない
無表情(=無気力?)に「なんだか意外だなぁ」なんて思ったりした。
 
と、そんなこんなで結局・・・・
 
「結局、疲れただけじゃねーかー!」

とナリタヒデキに言うと、

「フムム・・それが面白いんじゃないかぁ!日本では味わえない感覚なのだよ。
バスに行ったことによって、ひょっとしたら遭遇する出来事、思いがけない
出会いがあるかもしれないのだよ。そのくらいのゆとりを持たなきゃだめ
ナンダネ。偶然の出会いに感謝するくらいネ。そうは思わないかい?フムム」
 
「偶然の出会い?タイ語も英語もロクに喋れねー俺らにどんな偶然の出会いが
あるってんだ。そんなゆとりもある訳あるかぃぃい!」
 
そんな不満をタラタラ言いつつも、結局その旅は、全体的に「ナリタヒデキ的」に
なってしまい、この後、雨季のバンコクを避けるために何を思ったのか?
バスで一気に南下しマレーシアとの国境の町:スンガイコーロクまで行く羽目に
なってしまったのである。
 
その前に、当時、静岡在住の大学生:オキ君との出会いがあったのである。


 
(つづく)

微笑みの国で雨にウタレテ・・・90′s 其ノ四

2012/12/07

フムムのナリタヒデキとの初のタイ旅行は、雨季ゆえの連日のジメジメ雨に、
そしてその高温多湿な気候に喉をカラカラ渇かしながらも、連日のように
バンコクの中を歩き回っていた。
 
特に目的もない訳だから、毎日々々観光スポットに行くだけのことなのだが、
とにかくガイドブックたるものを持って異国人の中を自由に歩き回るのは
とても新鮮で気持ちがよかった。
夜は、どっかの道端の屋台かなんかでバーミー(麺)やカオパット(炒飯)を
喰い散らかしながら、ピリッとくるシンハビールを飲むのである。

やがてこれが一日の唯一の楽しみにもなり、夜に妙に生温い道端で、
通り過ぎる車やバイクの騒音を聞きつつ、人の流れをなんとなく見ながら
ビールを飲んでたわいもない事をしゃべり続けるといった、只それだけの
ことだけで、喧騒の中の日々は過ぎていき、そしてそれが妙に心地良かった
のは、日本の殺伐とした堅苦しい環境から一時的にでも、距離的・精神的に
離れることが出来たことに対する純粋な心の表われだったのだろう。

 
とにかく、朝、眼が覚めると雨が降っていることが多かった。
雨の音が大きいもんだから、街の音は聞えてこない。だけどファン(扇風機)
だけはやけにカタカタと音を鳴らしてはその存在をアピールしているような
感じだった。

1階がレストランになっている宿の4階泊まっていた俺達は、適当な時間に起きて
3階にある狭いシャワー兼トイレ室でシャワーを浴び、ノソノソと1階の降り、
マスターにコーヒーとパンをとりあえず頼み、タバコを吸い終えると、ノソノソと
今日の予定を立てるのである。
 
ナリタヒデキは、とにかく節約系の男だったから、時間よりもルートよりも、まず
それに掛かるコストを気にする男であった。
また、楽な旅をしていくことを頑なに拒んでおり、かたや一方で、元来なまけモノで
楽を好み、たいして変わらない金額であるならば、移動なら早くて楽な方、
宿であればキレイで広くて疲れない・・リラックスできる方を選ぶタイプである
俺に対して、常に憤慨し呆れモードになっている奴であった。

「フムム・・・そんなんじゃ、旅のおもしろみがないじゃないかぁ、、ふむむ」

が口癖であり、

「じゃ~僕は市バスのこのルートで行くから、おまえは自分の行きたい
 方法で行けばいいじゃないかぁ」

と、その当時、俺が一人で行動することが果てしなく不安だったのを知って
いるかの如く突き放すのである。
「ナンダヨ、それ!」と僅かばかり抵抗する俺であった。

その当時は1バーツ=約5円だったから、例えば、一泊250バーツの宿ならば
約1,250円(今のレートで考えると750円)。
まぁ、安いとは言えない額ではあるが、 日本に比べると安いという感覚はあったし、


「そんな無理して一泊50バーツの宿に泊まって疲れを溜めることもなかろうに・・・
そんなだけ節約したって・・・」

というのが俺の考えであり、やたらむやみに「節約々々貧乏々々旅行・・・」を
推進するナリタヒデキとの確執がだんだんと浮上してきては、事ある度ごとに
「結果的には負けいくさ」を挑んだものだった。



(つづく..)

微笑みの国で雨にウタレテ・・・90′s 其ノ参

2012/11/07

さて、話は元に戻る。
バンコク・ドンムアン空港に着いた俺とナリタヒデキだが、俺は初めて
経験する東南アジアのナマヌルッタイ暑さと気だるさにカンドーしていた。
しかし、とにかく俺は、どこへ行ったらいいのかも分からない。
ナリタヒデキに着いていくしかないのだ。

ナリタヒデキは、
「フムム、貧乏旅行のつもりだから、空港から市内へはタクシーでは
行かないよ。59番の市バスで行くのダヨ」と言う。

空港の位置も、市内がどこを指すのかもワカラン俺は、とにかく
「そうかそうか」とうなずきながら、ナリタヒデキの後をついて行った。
空港を出て、しばらく右に進んで行くと、大通りに出た。
今、車でよく通るウイッパワディ・ランシット通りである。
ここで市内の「バックパッカーの集まる」というカオサン・ロード付近へと
向かう59番の市バスを待つという。
 
別に時刻表がある訳でもなく、周りのニタニタ顔とぼんやり顔のタイ人達は
バスが来るであろう方向を見つめている。
それにしてもすごい喧騒と排気ガスだ。
午後4時過ぎの夕焼け色の空が、喧騒の向こうに見える。
そして、なんとなく妙に体の奥底から躍動感がふつふつと湧いてくるのが
自分でも分かり、嬉しかった。
なんとなく求めていたものなのかな?なんて思ったりもした。
 
59番のバスはなかなか来なかった。
「バス来ねーじゃねーかよ!」
とナリタヒデキに八つ当たりしていると、「フムム、アジアでは日本のような
時間厳守的な感覚はないのだよ。ふむふむ。なにもかもが適当で
バスもいつ来るか分からないんだ。そんな環境の中にいるのが
面白いのだよ。こーいうのを「マイ・ペン・ライ」「アライ・ゴ・ダーイ」って
言うらしいよ。ふむむ」とあごを掻きながら言うのである。
 
「よ~く知ってるねぇ~。フムフム」
とナリタヒデキの真似で言う俺。
 
妙に(?)関心していると、ようやく59番のバスが来たらしい。
停まったのか停まってないのか曖昧なままのバスに急いで乗り込み、
ぎゅうぎゅうな中やってきたおばちゃんによく分からないまま
10バーツ硬貨を渡し、よくワカラナイママおつりをもらい、本当に
ルートもお釣も合っているのか?と混乱しながらも、隣でふむふむと
俺を無視しながらもガイドブックを読みふけるナリタヒデキに目的地までの
所要時間を聞くと、「ふむふむ、約2時間だよ」と、相変わらず顎を掻きながら
言うもんだから、アタマに来るのはとーぜんで、「遠いじゃねーかよ!」と
再びの八つ当たりである。

初っ端から憤慨してばかりの俺であったが、この辺りから、ナリタヒデキと
俺の旅のスタイルのすれ違いが勃発し、早くも旅の続きにあやしい雲行きが
グルグルと侵入してきたのである。

この話がちゃんと続くだろうか???
という自分自身への問いかけにも、あやしい雲行きがグルグルと侵入し
始めているのである。


 
(つづく)

微笑みの国で雨にウタレテ・・・90′s 其ノ弐

2012/10/01

「フムム」のナリタヒデキとのタイをはじめとする東南アジアの旅は、
俺にとっては初めての経験であり、勿論「バックパックで」という形態も
新鮮ではあった。
 
でも、妙なぎこちなさと、不安と、そして「流行旅行にモロに乗っかっている」
という思いのそれぞれが、自分の中で交錯はしていた。

だけど、別に「貧乏旅行」という意識も、「新しい自分を見つけるためなのだ!」とか
「自己実現・啓発のきっかけなのだ!」という目的も何もなしに、ただ
「タイを廻ってみよーぜ!」くらいの気概であったのは確かだ。

周りを見回してみても同じ日本人ばかりの慣れきった気だるい環境や空間、
状態から一時的に抜け出すだけのものだったのである。

でも、今までに、俺自身で何かをコーディネイト&クリエイトしたという経験もなく、
且つ目的のために何かに没頭したこともない、ただの腰抜け的な輩である事を
結構自覚していたのは確かで、無意識の内に、なんとかそんな自分を
打破してー!というような思いもあったかもしれない。


離陸した直後に、機内の庇が、「カタカタカタカタカタカタ」と閉まっていく
旧型のビーマンバングラディッシュ航空に乗り込んだのが1996年の
7月下旬、ちょうどタイは雨季真っ盛りの頃であった。
 
ナリタヒデキにとっては2回目のタイらしく、俺にとってはフランス、
サイパンに続く3回目の海外である。しかし、1、2回目ともツアーで
あったので、今回が初めての、その当時、妙に流行っていた
バックパックでの旅であった。
 
そう言えば、初めての海外で遭遇した事件と言えば、初めての海外旅行先
のフランスのパリだった。12月の真冬時に、プリズンのような学生寮の
仲間等とパリのコンコルド広場を歩いている時である。

コンコルド広場は、実際はクルマがびゅんびゅん走っていて、広場というより
ロータ リーのようで、うちらにとってはモンマルトルの丘に向かうための
通過点に過ぎなかったのだが、俺の目には、ふと広場の隅にお土産屋風の
露店が目に入ったのである。 
 
トコトコと、吸い寄せられるようにマヌケ面して露店に近づく俺。
すると露店の近くに来たところで、浮浪者風のメガネ野郎が1人で近づいて来た。
俺の前に立ちはだかると、急に俺に有無を言わせぬままカシャカシャ・・・と
写真を取り出したのである。

唖然とする俺であったが、マヌケ面の俺もここフランスでは受けるのだと!
寒さでアタマがヤラレていたのだろう。その男の言うなりに、ポーズを
決めていく。

「そうか・・・どこかの雑誌カメラマンだな。」

そんなこと思いながらニタニタしていると、突如、アンドレ・ザ・ジャイアント
みたいな大柄の男共二人が俺を囲みだしたのである。
瞬く間に3人の風来坊に取り囲まれ動揺する暇もなく、一人の男が
ダンボールに書かれた料金表と思われるボードを出した。

そこには「写真4枚:400フランだ!」みたいなことが書かれていた。

「えあうううぅうぅうああええええええ」

なんてもがいていると、カメラを持った男が俺に写真を手渡した。
なんじゃぁああ?これは?
全部のポラロイド写真のピンとがズレ、ぼやけては色も薄い・・・。
こんな写真1枚が100フラン=当時で約2,000円かい・・・。
 
アンドレ達に凄まれた俺は、何も言い返すこともすることも出来ず、
他の仲間が「おい・・バカだなアイツ」みたいなニタニタ顔でこっちを見て
いる中、「早く400フランださんかい!こらぁ~!」などとフランス語で言われて
いるのだなぁなんて思いながら、対盗難用に重装備した隠し財布から
400フランを渡す他なかったのである。
 
その後のウスラバカ仲間達の反応は、ニタニタ笑いでの

「あ~あぁぁあ(ひひひ)」

のそれだけであった。

特にナリタヒデキのリアクションはひどかった・・・。
「フムム・・・自業自得だよ。こーいう経験も今のうちに、ということなのだよ。
学習々々!でも、やっぱし自業自得さ!そうか、、あーいう露店は
カモフラージュということなのダネ。ふむむ、、かわいそ~にぃい」
 
とにかく、海外初体験で海外の何もかもに新鮮さを感じていた俺に
とってはショックな出来事であり、その後、その夜に食べた生ガキに
モロにあたり、行きたい所も行けぬまま、熱を発症したまま日本への
帰路に着いたという一つのマヌケな思い出と、ウスラバカ仲間達の
冷たさである。


(つづく・・)

微笑みの国で雨にウタレテ・・・90′s 其ノ壱

2012/09/13

長編なんですが、蓋を開けてみると、
結局はオチなどない、、
長編オモシロクない昔実話的旅情物語です。。

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俺がタイに初めて来たのは1996年の夏のことであった。

大学も3年生となり、今までの2年間の、あのマヌケだが、常に誰に気を使う
こともなくそのまんま生きるエネルギー、若さゆえのエネルギーを発散しま
くっていたドタバタ寮生活から離れ、実家から新宿までの約2時間を満員
電車に揺られ、なんとなくだが都会の殺伐とした空気に否応なしに苦しめられ、
新宿駅の地下道を通れば、帰る家がないと思われる浮浪者さん達の発する
匂いと罵声に気が滅入るという生活になって、やっぱりトコトン気が滅入る
ことがアタリマエのようなっていた。
 
運が悪い日なんかは、常磐線(普通)の臭い車両にぶち当る時があって、
そんな日はたまらないのである。水戸方面から来たと思われるオヤジさん達が
ボックス席で朝っぱらから酒を飲んではイカを喰い、その悪臭をあたりに
撒き散らしているのだ。
 
ただえさえ、満員でぎゅうぎゅう詰めであり、密着して汗臭くなったりして
気分が悪くなるのに、これまた満員の山手線をやっとこさ降りると、
しょんべん臭い浮浪者さん達の櫓の中を歩いて行かなければならない。
 
やがて、都庁に向かう「歩く歩道」建設工事のためと、浮浪者さん達による
地下道放火未遂事件かなんかで、溜まっていた浮浪者さん達はどこかへ
消えてしまったが、居なくなった後を見てみると大して変わらない光景が
目に入る。
 
生気のなさげなウツロウツロしながら、でもあくせくと足早に歩いていく
無表情な人達。
外人が道を聞こうとしても、平然と「NO!」とか言いながら、去っていく
とあるお役所の職員らしき人物。
 
そんな都会の殺伐としたコンクリートの冷たさのような人間空間に
毎日のように通っていると、元々田園育ちの俺にとってはすごく
神経の疲れることであり、またあんな人間の吹き溜まりのような所に
いると気が滅入り、目がグルグルと回り気持ち悪くなる俺がいたのである。
 
まともに前も見れず、なんとか周りを見回してみても同じ日本人ばかり。
なんとかこの環境や空間、状態から抜け出すべく方法はないだろうか??
だんだんと俺はそんなことを考えるようになったのである。
 
そんな時、友人のナリタヒデキが、
「よ~、タイへ行ってみないかい??ふぅ~むむむ」
なんて、ある日言い出した。
タイと聞いてイメージできたものはない。
それほど「タイ」という国に対して、東南アジアに関して、いやいや
海外に対して無知な俺であった。
 
ナリタヒデキとの出会いも面白いもので、学生寮に入寮したばかりの
オリエンテーションの時に、ナリタが突然、俺と友人のピンに向かって、
「君たち、、営団地下鉄千代田線の明治神宮前駅はJRでいうと何駅に
あたるのか知ってるぅぅぅ??」
 
と聞いてきたのである。唖然とする俺とピンとその周囲が居たことは
明確であった。

「そうだよぉぉお、、君たちに聞いているんだよねぇ・・。ふむふむ、、簡単な
クエスチョンだよぉお。もう一度、最初から言った方がいいみたいだねぇえ~
君たちには。ふ~むむむ、、。営団地下鉄千代田線の明治神宮前駅はJRで
いうと何駅にあたるのか知ってるぅぅぅ??」

ピンは「ケケケケケケ」と言いながら「原宿だろう!」と答えた。
俺は実家が関東圏であるのにも関わらず、分からなかった。
 
ナリタヒデキは、顎を掻きながら「ふ~むぅぅぅむぅう~よ~く知ってるねぇぇえ~」と



言いながら、不気味なケタケタ笑いを残しながらその場から消えていったのである。
 
そんな「フムム」のナリタヒデキと共に、俺は1996年の夏、タイを約1ヶ月ばかり


ドタバタハラハラと旅をしたのである。
 

(つづく・・・)

タイ国天下分け目の総選挙

2011/06/29




7月3日はタイ国天下分け目の総選挙。

まさしくこの国のゆくえを左右するタクシン派と反タクシン派の
熾烈な戦い。

タクシン派政党/貢献党比例名簿1位の
インラック氏(タクシン氏の妹)VS 現職アピシット首相の構図も。

インラック・フィーバーはどこまで続くのであろうか??

タイ進出ラッシュ

2011/02/18



いろいろなメディアでも取り上げられていますが、
今、日本企業のタイ進出がラッシュです。

このままの勢いがいつまで続くかは分かりませんが、
おかげさまで、弊社オフィスにも多くのお客様に
ご来社いただいております。

また、日本人社員が1名、新たに入社し、弊グループ
全体で日本人が計9名となりました。

若手が最前線で奮闘、皆を引っ張る、いい組織体制
及び関係が構築されてきていると思います。

弊グループの日本人は皆、自分の意志でタイに来ていますが、
志高く、タイという異国の地の企業で共に働く同胞として、
強固な和と連携をもって、引き続き、同じくタイで奮闘されて
いる日系企業や日本人の方々のお手伝いをさせていただきたく
思っております。

今後とも、ご指導・ご鞭撻のほど、何卒、よろしくお願い
申し上げます。

ふるさとへかえろう③

2010/12/24






何軒か同じように回り、ゾロゾロと我らがアジト(?)に戻ると、
一種の新年ミニ同窓会みたいな感じになり、酒の勢いもあってか、
夜更け過ぎまで思い出話に花が咲くんです。

不思議と昔のいろいろな出来事が次から次へと思い出されては、
各々の記憶の糸が繋がり合い、さらに話は膨らみ、そして鮮明度が
増していきます。

幼い頃から青春時代の入り口あたりまでを共に過ごし学んだ旧友達と
過ごす時間や空間は、なんとも言えない高揚感と不思議な哀愁感が
あるものだ、とこの年代になって初めて気づきます。

除夜の鐘の音が聞こえなくなってだいぶ時間が経った、すっかり街も
寝静まり、元旦の寒さが街をすっかり覆う頃、誰かが言い出しました。

「あの場所は、今、どうなっているかな?」

我々は哀愁セーネン達は、かじかむ手をさすりつつ、
やっぱり「さむいさむい」と言いながら 真夜中のふるさとオモイデ散策
に出ます。

街灯もないような所を、ゾロゾロと歩きながら、昔よく駆け回った
オモイデの場所を歩きます。
オモイデは色あせるけど、その土地や空間は全くその当時の息遣いの
ままです。

はるか向こうの水平線上がかすかに明るくなった頃、街の外れに
佇むある天神に辿りつきました。

昔は子供達が普段から駆け回り、定期的に天神祭が催されたりと、
活気のあったこの天神も今はひっそりと佇むだけと聞きます。

ここで一年の計と健康と幸せを願います。
そして来年の元旦の再会を願い散会、それぞれ岐路に着きます。

2001年大晦日~2002年元旦の出来事でありました。

それ以降、今に至るまで、この集いは続いています。
集いの名は、この天神の名を借り、「早尾天神な会」。

異国の地に住んでいても原点は日本にあります。
異国の地に住んでいても、たまにはふるさとへ帰ろう。


<おわり>

ふるさとへかえろう②

2010/11/26



「おー!○○!元気かい?ちょうど今、△△の家で飲んでいるんだけど、

もし良かったら、今から出てこないか? 家の場所? 旧□□邸だよ」

そうなんです。

その時、その友人は、幼馴染でその昔九州の方へ引っ越していった

□□の旧家に住んでいました。

○○が白い息を吐きながら到着。

「おー!久しぶり~!中学校の卒業以来だなぁ~!」

とこんな感じで話は弾み、ついでに酔いも回り、

「あいつはどうしてる?あいつはどこにいる?あいつは元気か?

あいつはこんなんだった!」などと「あいつはあいつは話」で盛り上がり、

その勢いで、あちこち電話を掛けまくった挙句、かなりの人数の

歴史ある旧友達が急転直下的に集まりました。

そうなると話の幅がやたら滅多に四方八方と広がり、今この時点で

来ていないけど、この近くに住んでいる旧友宅へ乗り込もう!ということに

なりました。

もうすぐ新年を迎える、午後11時半過ぎの静まり返る大晦日の夜。

「さむいさむい」と言いながらその旧友達の家を目指しました。

さすがに迷わない!

周辺地図は全て頭の中に入っていて、記憶を捻り出す必要などなく、

足は軽快に動きます。

道中で新年を迎えました。

その矢先、インターホンを押すと、

両親の怪訝そうな声が向こうから聞こえてきましたが、自分の名と

経緯を話すとやはりなつかしそうな声が。

<つづくかも?>