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微笑みの国で雨にウタレテ・・・90′s 最終回

2015/09/25

町田君による「突如勃発型発作的ドタバタ旅-チェンライ編」は、
本当に勃発的に始まった。
「俺、今日の夜行バスでチェンライ行ってくるわ」

と言い放ったのち、さっそく町田君は荷造りをし、ねぐらにしていた宿を
颯爽とチェックアウトし、荷物をカウンターに預け、マイへのお土産を
買いに再び外へ繰り出して行った。

俺達はその模様をポカン・・としながら眺めていた。
何をそう彼(町田君)をかり立てているのか?
俺達にはそこまでのパワーや思いがなかったから、羨望の眼差しとは
言わないまでも、その行動力と決断力に対しては、ある種の羨ましさを
感じていた。

これから、あてはあるが不明確且つ見知らぬ土地へ、消え去った女性
(マイ)を追い求めて旅立つ町田君の心境は、その昔のマルコのような
ものなんだろうなぁ、、なんてことを考えていた。
「マイを求めて900Km」と言ったところか。

チェンライはタイ最北の県都であり、13世紀には、タイ北部で栄えた
ランナータイ王国の首都であったことで知られている。
町田君がゴーゴー・バーで知り合い、惚れこんでしまったマイという
女性が生まれた場所でもあるらしい。
バスで約13時間。

バンコクでも、チェンマイ、チェンライと言ったタイ北部から来た女性は、
どこか発するオーラが、他県女性とは違うということはよく耳にしていた。
最初は
「そんなことあるものか、タイ女性は皆、タイ女性ではないか!」
と、素人さながらの頑固さを売りにしていたのだが、事実、日本にも
東北美人と比喩される、でも本当に美人の東北の女性がいるように、
実際、間近で見てみると、やっぱりタイ北部出身の女性は、綺麗且つ
スタイル抜群なのであった。

タイ北部は、ミャンマー、ラオス、中国と隣接した地域であり、ここには
中国系の血を受け継ぐ人が多い。
中国系とタイ純正100%のモン族とを比べても、男女共に、中華系の
方が華やかで、女性ならば「うつくしい」、男性ならば「おっとこ前」と
言ったものだろうか。

そんな感じの話をオキ君や、歩くガイドブックのナリタヒデキから
聞くたびに、タイ北部への思いがかりたてられ、今にでも俺も、
”北に行きてぇ”と言いたくなるのだが、今回の目的はあくまでも「南下」であり、
目的に添って旅を味わいたいナリタヒデキは、他人の「突如勃発的発作型」は、
オモシロ旅ウケ話として受けいれるのだが、
自分達には”突如勃発・・・は必要ネー”というようなスタンスであったから、
自分一人では果てしなく不安で孤独を嫌う俺の意見など無視される可能性が大であり、
例え北への進路変更を提案したとしても、
「俺は行かないから、おまえ一人で行って来ればいいじゃん」
と言い放たれるのがオチでもあった。

この時俺は、口をつぐんだまま、密かに次回の確固たる「北」への
目的を心の内で構築し、その熱い思いを噛み締めているだけしかなかった。

しかし、町田君のサムイ島話を聞いて、熱帯の南のトロピカル・リゾートへの
思いも確かに熱くはなっている。
リゾートの解放された華やかで誘い魅惑の土地を選ぶか、
美人の宝庫とされる北を選ぶか・・・。

確かに旅の当初は、
「新しい自分を見つけるためなのだ!」

とか
「自己実現のきっかけなのだ!」

というナントカカントカな目的も何もなしに、ただただ外国の見知らぬ土地を、
そして廻りを見廻しても知らぬ輩がウヨウヨしている街を歩いているだけでも
満足であった。
それはそれで、無機質で表情の薄い日本から抜け出して来ていることに
充実感を感じていたのだ。

しかし、漠然的に「南」を目指してはいたものの、でも、そんなとこに何か
正当な理由があった訳でもなかった。

「だんだんと単調になっていく「旅」という、”一人よがり的青春謳歌”に
疑問とその存在意義をまがいなりにも俺は感じ始めているんだよ」

と、すでに長旅のオキ君が、ビールを飲んで酔っ払い、語りに入って
いる時にふと言ったことが印象に残っていた。

「ナンデモいいからスカスカな心を潤すパワーと過激さを意識下で
求めてはいるんだけどさ」
この時、町田君が珍しくシリアスな顔して反応していた。

いろんな理由・スタンスで旅する”あやしい日本人”と出会う度、
「イマイチ味のない中身のない旅をしているなぁ」

と、異国でも自分を捨てきれない曖昧な自分等に嫌気が差しつつあったのは
確かで、しかし、一方で
「俺はまだ学生なんだから、自分を突き詰めながら各国を旅している
猛者にはならなくていいんだよ。彼等は彼等で俺は俺だよ」
などと思う気持ちもあり、その辺が、やっぱりいつでも中途半端な
自分を象徴していた。


夕刻の闇がバンコクを覆い被さる頃、町田君は、チェンライ行きの
バスが行き交うバンコク北バスターミナルへ向かうため、一人、
1ヶ月の一人旅にしては妙に少ない荷物を持ち上げ、「よぉっしゃー」
と声を張り上げた。

「本当に大丈夫かよ?あんだけの連絡先で行けるのかよ?」
と、オキ君がつかの間の旅の仲間に言った。
「大丈夫!大丈夫!なんとかなるべ」
「町田がいいんならいいけどさぁ。で、いつ帰ってくんの?」
「マイに会えたら帰ってくるよ。できれば一緒に帰ってくるつんもりだけど」
と、意気揚揚と町田君は答えた。

ナリタヒデキも俺も黙って町田君を見ていたが、町田君の
「今までサンキュー!また会おうぜ!」
と言いながら差し出した手と思わず握手をしていた。
しかし、内心は、

「きっと会えないだろうな、、無駄足だろうなぁ。。」
なんてことを俺は考えていたが、口には出さなかった。

「帰ってきたら、またこのゲストハウスに泊まるかんよ。ここに居てくれよ。
カウンター脇の掲示板にメッセージ残しておいてくれよ。」
「おー分かった。おまえも帰ってきたらメッセージ張っといてくれ。俺達も
これからどこかへ行くかもしれないからさ。とにかくまた会えるといいなぁ。
ここで会えなかったら日本で会おうぜ!」
とオキ君が言った。

「そうだべ。ここで会えなくでも日本で会えるべ」
と町田君はそういい残しながら、タクシーに乗って北バスターミナルへと
闇の中を消えていった。
タクシーのテールランプがやけに闇の中で色濃く見えた。
俺達は、ボーっと町田君のタクシーの中の後ろ姿を見ながら、旅人らしく
シリアスにのちの再会にふけっていた。
しかしこの時、町田君と日本のアドレスの交換をしていなかったことに
オキ君が気が付いたのは、だいぶ後になってのことだった。

町田君は見送った後、俺達は飯を食べに再び街へと繰り出した。
しかし、今度は街は夜の顔になっている。

昼間とは違い、けたたましい排気音や騒音の出所が分からない分、
妙な興奮が体の中から湧き上がり、夜の明りに向けてその興奮が飛び散っては、
眠らない街の片隅で働くタイ人の熱気とかと交じり合うことがなんとなく分かる
もんだから、街と一体化したような気分になり、次第にいろんな感情を押えきれ
なくなってきていた。

そして、その押さえきれない興奮と感情は、なんとなくだけど、次なる目的地と
そこにある何かが作用して体の中から沸々と湧き上がってくるものであった。
いろんな旅のスタイルとスタンス、その可能性の幅を垣間見ることが
出来るであろう希望に満ちたこの先と、日本では味わうことができない
精神の解放・充実、所謂、旅の麻薬にだんだんと染まりはじめている証拠でもあった。

俺達は、そこら辺の屋台でビールを飲んで行き交う車や人を見ながら、
今日一日の出来事を振り返りつつ、大袈裟に笑った。
日本での生活がアホらしくもなっていた。

長い一日で憂鬱ばかりの日々から、こんなにも人間力と情熱とパワーが
ありふれている街の真中で芯に苦いビールを飲みながら、眠らない
風を感じることが出来るのである。

俺達は町田君の幸先と行く末を思いながら、いよいよ南へ向かうことを
なんとなく決めていた。
そして、バンコク最後の夜を、町田君もハマったゴーゴー・バーで締めくくろう!
ということになり、俺達は、ナリタヒデキの渋々顔を無視しつつ、
魅惑のパッポン通りへと向かうため、通りすがりのトックトックを止め、
勢いよく飛び乗ったのである。


あるきっかけと目的地を欲していた時に投げかけられた数々の選択肢と
その誘い情報は、間違いなく俺達を旅に沈めるべく”旅の言霊”を発し、
俺達を刺激していたのである。


(おわり)

微笑みの国で雨にウタレテ・・・90′s 其ノ十四

2015/09/07

結局、マイという町田君が気にっている女性には会えないまま、
どうやらマイはチェンライに行っている・・・という情報だけを得た
俺達はようやくアパートを後にした。

外に出た途端、再び生温ったるい熱風が、俺達に覆い被さるように、
澄み切った空から吹き込み、喉をカラカラ刺激してきた。
俺は、また長いかもしれない帰り道を思うとぐったりせざるを得なかった。

アパートの門の所には、何匹もの野良犬達が同じように体を
”ぐだん・・”とさせながらうな垂れていた。
さっき間違えて行ってしまったプラ・ラーム・ハー通り沿いの歩道で
やっぱり同じようにうな垂れて、その独特の哀愁漂う何かを目で
訴えかけながらトボトボ歩いていた犬を思い出した。

何匹かは、停まっている車の下で”ハァハァ”言いながら全身
隙だらけで寝ていた。

この照りつける強烈な日差しからの一時的避難なんだろうけど、
車主が来て、せっかく気持ちよく熟睡している所を払いのけられ、
”ブゥゥルルンン”と勢いよく走り去られてしまい、唯一の日除けが
なくなってしまった後のなんとも言えない彼等の寂しそうな目を
見ているとなんだか見ていてとても痛々しかった。
それがバンコクで、野良として一人で生きていかなければならない
犬達の宿命であるのだが、だけど、よくよく考えてみると、
彼等には彼らなりの自由がありそれを横臥しているのかもしれない。

自分のシマの路地裏辺りをウロウロ徘徊していれば、その辺の
住人が餌をくれるのであり屋台の残飯にありつくことも出来る。
一見放し飼いで行き場のない孤独な者達よ・・・と思うかもしれないが、
実は日本の狭い家で縛られて飼われている犬達よりは、ひょっと
したらシアワセなのかもしれないなぁ~なんてことを思った。

”ぐだん”とうな垂れていた犬達のように、町田君も肩を”ぐだん”と
させていた。
「とりあえずカオサン帰ろうか?」
とオキ君が、町田君に語りかけるように尋ねた。

このホワイクワンがバンコクのどの辺りに位置しているのかが
よく分からなかったが、ナリタヒデキがバンコク・バスマップを見ながら
「比較的近いよ」
と、暗に”近いからバスで帰ろうよ~”なんてことを言い出しそうな口ぶりで言った。

「ここはよ~もう近いんだったらタクシーで帰るべ」
と、町田君は低い声で、ナリタヒデキの期待を裏切るような感じで言った。
どうやら、本当ならば今日、ゴーゴー・バーで知り合ったというマイに
会えるはずだったのに、町田君に伝えないままタイ最北部のチェンライに
行ってしまった・・・ということに、自称”限られた時空旅人”の町田君は、

「もう会えないんじゃないか・・・・。会えるとしても次はいつ会えるのかも
ワカラナイ。。それに、ひょっとしたらもう会うことはないんじゃないか・・・。
タイ人なんていつどこに行ってしまうのかもワカラナイ。。今日のように・・・。
広大なタイの何処かに居たとしても、見つけ出すことなんてデキナイヨ。
連絡だって取り合うのムズカシイだろうし・・・もうアエナイんだ。。」

という、強烈なマイナス思考が、どうやら体中をぐるぐる廻っているらしかった。

南の島のサムイ島で知り合った台湾女性の弟が事故死し、発狂寸前の
彼女を、鋭い心の痛みを感じながらも島に置き去りにしてきてしまったことを、
ここバンコクに戻ってきた後も表面に出さないまでも内心では
後悔にさい悩まされていた町田君が、いくら下心丸出しとはいえ、
そのマイという女性に夢中になっていたのは、深層心理にこびり付いて
なかなか取れないその後悔と恐怖を一時的でも払拭したい・・という気持ちで
一杯だったからだ、というように、同じく暑さと緊張で脱力感に覆われいた
俺達は良いように解釈しはじめていたこともあって、だから、マイが
今バンコクに居ないという事実を前に、

「おいおい、そんなことぐらいで落ち込むなよ~。これはほんのヒトトキの
素晴らしき恋であった・・・のであって、そこには微笑みがあったんだ。
それでいいぢゃないか。南の国での出会いや恋に本気になっちゃイケナイんだ。
旅上の恋はその土地々々に置き去りにしていかなければならないんだ」

なんてイッパシことを言えるわけもなかった。

そしてまた「バス派」のナリタヒデキやオキ君達も
「バスで帰ろうよ!」
なんてことは言えず、この時は素直にタクシーで帰ることを了承していた。

やっぱりナリタヒデキが言うように、ホワイクワンからカオサンまでは
比較的早いルートがあることをナリタヒデキが確認し、タクシーの
運ちゃんに地図を見せながら、

「このルートで行ってくれ」
と、さえない英語で説明していたが、その運ちゃんは金切り声で
「ソンナコトシッテンダヨ!」
みたいなことを不機嫌な顔をしながらタイ語で言っていた。

帰り途中、現国王が住んでおられるチットラダ宮殿を通過する前の
踏み切りあたりで、何人ものポリスがけたたましくウロついていた。
停車しているパトカーも何台もあり、そのけたたましくグルグル廻る
サイレンを見ながら、ナリタヒデキが
「王室の誰かが外出するのかもしれないよ」
と、知ったかぶりの口調で言った。

しかし、ポリス達は検問している訳でもなく、俺達の乗ったタクシーも
案外すんなり踏み切りを渡り、宮殿横を通過することが出来た。
宮殿敷地廻りは堀と鉄柵で夥しく囲まれており、そこには一定間隔で
長銃を手にした頑丈な警備兵がジッと立っているのが見えた。

「ここって、現国王が住んでいる場所だよね?」
と、ふと俺がナリタヒデキに聞いた。
「そうだよ」

と、ナリタはすぐ答えた。

「ここって入れるの?」
と、さらに質問を続けると、あきれたような顔で
「入れる訳ないだろう。日本だって皇居には入れないだろう」
と言った。

俺もナリタのそんなあきれ顔にムッとして
「皇居内の館やナントカ御殿には入れないけど、正月の時とかの一般参賀の
時とかは、参列者は皇居の敷地内に入ってゆけるだろう。そーいうことを
言っているんだよ」

「そんなの知らないよ」
とナリタは半分無視しつつ、流れ行く外の景色を見ながら、
つぐんだままの口から「ウカォア、ウカォア」と、奇妙な音を発していた。
どうやら、去年まで住んでいた寮時代から皆に止めろ!と言われていた癖が
未だに直らないでいるらしかった。

そんな俺等のヤリトリを一向に気にすることなく、オキ君や町田君等は、
その間、目をジッとつむっていた。

カオサンに着いた俺達はいったん宿へと戻り、体に染付いた汗と
喧騒の匂いを洗い流し、洗濯物でカビ臭くなっていた部屋をファンで
無駄な換気をしてから、一階のラウンジにダラダラと集まった。
しかし、いくら待っても町田君が姿を現さなかった。
俺達はシンハビアを飲みながら、ダラダラとあまりコトバを発さず
たまに流れてくるさわやかな風に身を預けていた。

しばらくして、突然、町田君が息を切らしながら笑顔で走り込んできた。
すでに着替えたはずのTシャツは、再び汗に滲んでおり、ハァハァと
息も弾んでいたのだが、一息もいれることなく町田君が喋り始めた。

「俺、今日の夜行バスでチェンライ行ってくるわ」

確実に「突如勃発型発作的ドタバタ旅」は、俺達の廻りで動きはじめて
いたのである。

(つづく)



*「この物語は100%ノン・フィクションですが、登場する
人物名及び団体名はフィクション(仮名)です。

微笑みの国で雨にウタレテ・・・90′s 其ノ十三

2015/07/16


その女性は、まだ10代のあどけなさをプンプン匂わした感じの、
鼻が幾分潰れたヒトであったが、とても可愛らしい顔立ちをしていた。

「この娘が町田君のお気に入りなのか?」

などと、初めてのタイでローカルのアパートまで来て、ゴーゴー・バーなんていう
未知の世界で働いているタイ人女性を目の前に、俺達は緊張しながら
とりあえず町田君の反応を伺った。

町田君の顔は難色を示していた。

「あれ・・・?」

みたいなマヌケな顔で、発するべきコトバを模索しているようだった。

「この子?」

と、すかさずオキ君が町田君に聞いた。

「いや・・・違うべ。雰囲気は似ているとは思うんだけドモサ、、
それにマイは英語喋れるしなぁ」

と、町田君はタドタドシク反応した。

欧米人が日本人の顔の見分けがつかねぇ、と言う事が多いように、
そしてまた、アラブ人以外の人間にとってアラブ人の顔の見分けが
つかないように、初めての異国に地においては、往々にして
そういうことがあるものだ。

「サワディ~カップ!オーオーオー、Can you speak English?」

と町田君はその女性に丁寧且つゆっくり英語で聞いた。

しかし、その女性は英語があまり喋れないらしく、「クスッ」と微笑んだものの、
何もコトバを発っさなかった。

それもそうである。

イキナリ見ず知らずの訳もワカラン外国人と思われるあやしいセーネン達が
押しかけてきたのである。しかも4人も。

1人は顎髭がボーボーで、しかも白いキャップを深くかぶり、まさしく怪しいわけで、
そんな奴らに対して微笑んでくれているだけでもタイ人の懐の深さを感じ取れる
光景であった。

”日本だったら、不愉快な対応をされるか、怒鳴り散らされるかもしれないなぁ”

なんてことを考えながら、

”日本人とは根本的に違うのであるのだなぁ”、

と、そんなところで、タイ人を好意的に受け入れ様とする俺がいた。

「この女性は、最近バンコクに出てきたばかりの、その女性の妹じゃないの?
さっき町田君、歩きながら言ってたじゃん」

と、ナリタヒデキが冷静に言った。

「おーおー、そうかもしんない」

と言って、町田君は、住所の書かれたタイ語と英語のメモをその子に見せた。

「YES?」

町田君は反応を伺った。

「カー」

彼女はなんとなく眉間にシワを寄せながら、曖昧に答えた。

「Her name is Mai(マイ). She is my friend. マイ・・・マイ??」
「マイ?」

今度は、キョトンとした感じでその子は「マイ」と言った後、なんだか

「あっ!」とした感じの顔つきになり、

”おねーちゃんの知り合いの人(お客さん)かなぁ”みたいな感じで、

「マイ、トン・ニー・マイ・ユー・カー」

と、どうやらタイ語でなんか言った。

「オーオー、Is she here?」

と町田君が、さらに激しく尋ねた。

「マイ、トン・ニー・マイ・ユー・カー」

と、どうやらさっきと同じことを再び言ったようだった。

「マイだよ。マイ???」

と、町田君は、不安を押えきれず、しつこく聞くのだが、彼女自身も
何て言っていいのか分からないようだった。

と、ふと彼女の背後から男の声がした。

俺達が彼女の背後を伺おうとすると同時に、タイ人男が姿を現した。
長めの髪を真中分けした少し短足の男だったが、そのクッキリした目と
厚い唇が印象的だった。

「WHAT?」

と、その男は英語で聞いてきた。
どうやらその男は英語が喋れるみたいだった。

「マイ。マイ。She is my friend. Is she here now ?」

と町田君は、幾分、狼狽しながら英語で同じ事を聞いた。

「Oh- Oh-, She is not here !」

と、タイ語なまりの英語ではあるが、”残念だなぁ~”みたいな
顔をしながら、流暢っぽく答えた。

「Where?」

と、横からオキ君が割って尋ねた。

「Now She is in チェンライ」

と、ハッキリその男は答えた。

「チェンライ???チェンライ???」

町田君は明らかに狼狽しながら2回繰り返したが、まだ、あまり事の状況を
理解できていないようだった。

ふと横を見ると、さっそく「歩くガイドブック」のナリタヒデキが
「チェンライ・・チェンライ・・・」などと呟きながら、そのページを捲くっていた。


「She went back to Chiangrai yesterday.ダカライマココニハイナインダヨ」

と男は答えた。

「・・・・・マジカヨー」

町田君は”せっかくここまで来たのによー”と、無言の表情で俺らを見回した。

「あいつ、チェンライに行くなんて言ってなかったぜ。マジカヨ・・・」

と、繰り返し”マジカヨー”を呟きながら、マイから受け取ったメモを
右手でクシャクシャにしていた。

「でも、知り合ったばかりの客にはそんなこと言わないんじゃないの?」

と、ナリタヒデキが最もらしいことを言いながら、町田君を慰めたのか
煽ったのか分からない感じで言いながら、

「でも、チェンライまで、飛行機だと1時間かそこらで行けるみたいだよ」

と、余計な一言を付け加えていた。

”それにしても、ゴーゴー・バーで知り合った女性にそんなに会いたい
ものなのか・・・・・?”

などと、俺はあくまでも第三者として、客観的に目の前の状況を観察しながらも、
町田君のその”怒涛の直下型情熱アジア”というものを理解できないでいた。

「何が町田君をそう情熱的に、そしてその漂わせる哀愁オーラは
一体なんなのだ??」

などと、一人考えて込んでいた。

さすがに昼下がりのアパートの中は生温い暑さが充満し、
空調設備もない部屋からは、冷たい空気の代わりに、「ぶるんぶるん」と
いうファンの音と音楽が流れてきた。

ふと、気がつくと、オキ君がそのタイ人男に

「チェンライノイキバショシッテマスカ?」

と聞いていた。

「OH-OH-!シッテイマスヨ」

その男はそう答え、マイの妹らしい彼女に何かブツブツとタイ語で話し出した。
するとその彼女は、紙切れに電話番号と、タイ語でどうやら住所らしきものを
書き、町田君に手渡した。

「イマ、マイハチェンライニイマス。コレガレンラクサキデス」

みたいなことを彼女は言って、また「クスッ」と、ドアを開けて最初に
見せてくれたのと同じ微笑を見せてくれた。
 
”そんな微笑はどーでもいいべ”みたいな感じで町田君は、

「Is she here? Now in here? マイな?マイな?」

と、何時もになく真剣な顔で捲くし立てていた。

しかし、”怒涛の直下型情熱アジア”が生み出す、その真剣な表情の中に
かすかな希望ともとれる微笑みが浮かび上がったことを俺は見逃さなかった。
だけどそれは、目の前の彼女がさっき見せた”微笑み”とは程遠い、
下心丸出しの微笑みであるのだなぁ・・と、思わずにはいられなかったのである。


(つづく)

*「この物語は100%ノン・フィクションですが、登場する
人物名及び団体名はフィクション(仮名)です。


微笑みの国で雨にウタレテ・・・90′s 其ノ十二

2015/06/17

ようやく俺達4人は市内へと戻ってきた。
さっきまでうつむいてばかりで、上を向いては「ハァァ」とタメイキばかりついて
ばかりいたのとはうって変わって、喧騒が奏でる街の熱気と活気を再び感じ始め、
なんだか活力が体の底から漲ってくる感じだった。

今度は間違いなくホワイクワンであることをナリタヒデキがバスマップで
確認していた。バスの料金徴収おばちゃんも俺達に”ここはホワイクワン”
であることを合図していた。

少しばかり不安があるものの、とにかく俺達はおばちゃんの合図した場所で
バスを降り、とりあえず空腹を解消することにした。
町田君がパッポンというゴーゴーバーで知り合ったねーちゃんの部屋を
探索するのはその後だ。

俺達は、バスを降りた所の目の前にあった屋台でバーミー・ナームを食べた。
バスが通りすぎる度ごとに吹き上げる排気ガスを含んだ東南アジアの熱風を
かわすことも面倒になるくらい、俺達はヒトトキの休息を必要としていたのか、
どうもダランと椅子に腰掛け、バラックの塀にもたれ掛かった。

だけど、バーミーを食べたせいか、否応なしにダラダラと垂れてくる汗が妙に
うざったく、しかも目に入るのでコンタクトレンズをしている俺にとっては、
ドーモ目がしみて仕方なかった。
それにタバコを吸っても、こうも排気ガス交じりの熱風が吹き付けてきては
美味しいわけもなく、なんかムリヤリ吸っている感じだった。

「ほいじゃ、そろそろ行こうでないの」

と、急に町田君がソワソワしながら言った。
俺達は再び歩き出した。
しかしその足取りは、さっきまでのヘトヘトトボトボでなく、ダラダラくらいには
回復していた。

どうやらその知り合いのねーちゃんのアパートは近いようで、その辺のタイ人に
聞いても、もうすぐ近いようなことを言っているようだった。

「ホントにそのねーちゃんはここに住んでいるのかい?」

と、オキ君が嫌味っぽく町田君に聞いた。

「間違いねーべ!確か妹と一緒に住んでいるって言ってたぜ。
妹は最近バンコクに出てきたばかりで、まだ何もしねーで、一日中部屋にいるらしいぜ」

と、妙にウキウキしながら町田君は答えた。
町田君は長身だから、やけに早足で、どうもついていくのが大変だった。

町田君は「サワディィィイカッププププ!」とハッキリした大きな声で、再び
道端のタイ人にメモを見せていた。
町田君の挨拶は妙に歯切りがよく声もでかく、しかも敬礼付きであったから、
妙にタイ人の受けもよく、今回はスムーズにアパートまでたどり着くことができた。

「何がいいのかよくワカンネーナ」

なんて思いながら、ようやく無事辿り付けたことになんだか異様な満足感があった。

アパートは、ソイを入って少し進んだ右側にあった。
同じアパートが3棟並んで建っていた。
彼女のメモには「B」と書いてあったので、俺等は、3棟の真中に建っている棟が
B棟と判断し、さっそく敷地の中へ潜入していった。

クラックがアタリマエのように入ったそのアパートは、やっぱり外観を
見た時に想像したようにオンボロだった。

初めてタイに来た俺等にとって、このタイ・ローカルのアパートは、
とにかく異様且つ新鮮であった。
くずれかけの閉ざされたような空間に漂う、生温いココナッツの匂いと独特の
香辛料の匂いというのかトム・ヤム・クンの匂いというのか、とにかくそんなタイの
日常のいろんな匂いが交じり合ったような匂いが鼻腔を刺激した。
それもやけに俺達を刺激した。ドキドキ感も、益々体の中から浮上してきた。

「タイは、街の中もそうだけど、建物の中もヘンないろんな匂いが混ざった
匂いがするんだなぁ」

と、オキ君が汗を拭きながら言った。
オキ君のシンボルでもある白い帽子もなんだか汗でぬれて、フヤケタ感じに見えた。

「でも、やっぱ香辛料の匂いが強いべ」

と、町田君はオキ君とは違い、勢いよく言った。

その建物は9階建てで、町田君の知り合いの女性は、どうやらメモによると
7階に住んでいるらしかった。

「B棟713」

これが彼女の部屋番号らしかった。

アパートは建てに長く、1階に30部屋はある感じだった。
大抵の部屋のドアが開いてたり、もしくは半ドア状態で、住んでいる住人の声や
ガンガンにかけてある音楽が否応なしに聞えてきた。
しかし、こうして見ると、”こんな真昼間からなんでこんなに部屋にいるタイ人、
しかも男が多いのだ?”と不思議に思った。

この時間帯は、通常なら働いているか、外出している時間だ。
しかし、部屋の中から廊下を通して響くタイ人男のタイ語が、同じく流れてくる
タイ語音楽とコラボレーションした形で耳に入って来て、耳障りだった。
そうなると必然的に、俺等の喋り声もでかくなってしまい、聞きなれないコトバを
察知したタイ人がドアから顔を覗かせては、モノを語らない、しかし意味のない
視線でまっすぐ俺たちを見ていた。そこに微笑みはなかった。

7階につくと、鼻腔を刺激する匂いがさらにきつくなった。
それもそうである。
廊下に立つと、部屋の前に無造作に置いてある食べ残しの皿やビニールに
入ったココナッツやいろいろなモノが発する匂いが、この暑さに相伴って
直接的に襲いかかってくるのである。

「こんな所に住んでんのかよ」

と、あきれたように町田君が言った。

「ふむふむうう、こんな所で、1ヶ月の家賃ってどのくらいなんだろう?」

と、ナリタヒデキが久しぶりに口を開いた。
さっきまで閉口してたのに、ナリタにもどうやらだんだんと興味が湧いてきたようだった。

しかし、初めてのタイで、いきなりタイ人が住んでいるアパートに来れるとも
思っていなかったし、毎日々々、観光地の寺院やストリートを廻ってばかりの
ある意味ぜいたくな”刺激のなさ”に飽き飽きしていた俺は、なんだかいろんな意味で

”タイ下層的ローカル感”を味わっていることにドキドキしていたし、
いつのまにかここに辿り付くまでの疲れも昨日までのモヤモヤもどこかに吹き飛んで
しまっていた。

713号室の前にようやく俺達4人は辿り付いた。
ドアは閉まっていた。
町田君がノックを3回した。
少し待って、ドアがゆっくり開いた。

「ひょっとしたら男が出てくるかもしれないぜ!おいおいダイジョウブかぁ?
しかもここであっているのかぁ?」

などという俺達の一抹のゆるやかな不安を払拭するような感じで、
女性が”ひょこ”っと顔を出したのである。



(つづく)

微笑みの国で雨にウタレテ・・・90′s 其ノ十一

2015/05/20

カオサンの路地裏の店でオキ君と会った翌日、俺とナリタヒデキと
オキ君と町田君は、町田君がパッポンという歓楽街のゴーゴー・バーで
仲良くなったという女性に会いに、その女性の部屋探しを慣行するため
俺達は「エイヤ!」と勢いよくバンコクの街へと繰り出した。

町田君は、その女性が英語とタイ語交じりの、一見、象形文字的な文字を
羅列した感じの住所を書いてくれたメモを持っていたが、
俺ら4人ともそれがどこか分かるはずもなく、誰かに聞きながらその彼女の
アパートを目指すしか方法はなかった。しかも、その紙切れも見せる度に、
その書かれた住所が雑であることだけが判明していき、一向にその正確な
場所は分からなかった。

とにかく俺達は、道端で聞いたタイ人に言われた63番の市内バスに乗り、
また、バスの中の料金徴収おばさんに、この住所に行くにはどこで降りたら
いいのかを聞いた。
料金徴収おばさんは、

「その辺りに着いたら言うから、大丈夫だから大丈夫だから!」

と、やたらに大丈夫だから(マイ・ペン・ライ!)を繰り返していた。

排気ガスを撒き散らしながら走るバスの外の風景は、時間が経過し、
市内を離れて行くんだなぁ~と思う回数に比例するように、その風景も
同じようなものに変わっていった。
そんな市内とはうって変わって殺風景な風景を見ながら、昨日、カオサンの
路地裏の店でオキ君が、そんなことを言っていたことを思い出した。

幹線道路沿いに決まったデザインのコンクリートの長屋が建ち並び、
ふと、今まで1階は店舗の連続だった長屋から、1階も住居という長屋に
変わっていた。
その長屋の1階の変化に伴って、オキ君が言うことが正しければ、着実に
市内から市外へと動いているようだった。
でも、市内と市外の境界線を示す根本的なものが何なのかは、その時は
よく分からなかった。
そのくらい、都市の境界というものが明確でなく、且つ乏しかった。

長屋と長屋の間には、ソイと呼ばれる路地と、そのソイの番号を示す看板が
立っているのがほとんどだった。

「どこも同じようなつくりだなぁ」

とぼんやり考えていると、

「おいおい!町田!何処向かってるんだよ?俺達?」

と、ふとオキ君が呟いた。

雨季真っ盛りの季節であったが、そこはカラカラの晴天であり、オキ君や
町田君の額には汗が滲んでいるのが分かった。

「いや・・・もうすぐだと思うけど。。」

自信なさげに町田君が言った。

バンコクがどんな都市構造をなしているのかすら全然想像がつかない訳だから
ムリもないのだが、目的地がどこかも分からないのは、この炎天下で乾燥しきった
天候の中では結構疲れるものだった。

ナリタヒデキは、ガイドブックとその女性が書いた住所とを照らし合わせながら
なんとか地理を把握しようとしていたのだが、住所が読みづらい英語と、
そして訳の分からないタイ語で書かれているもんだから、なかなか正確な場所を
掴めずに、イライラしているようだった。
そんな様子を見ていて、俺はなんだかバスに酔い初めていたし、急速に
前日までの疲労が体の芯から滲み出ているような感じだった。

1時間くらい走っただろうか、ようやく、前方の運転席の隣のシートにだらんと
座っていた料金徴収おばさんが立ち上がり、おばさんから見て右側の席に
これまただらんと座っていた町田君に目で合図した。
どうやら目的地が近いらしい。

「もうすぐ着くぞ!降りろぉ~!」

と、どうやらそんな事を言っているようだった。

俺達はバスを降りた。
どうやら相当、郊外まで来てしまったみたいだった。
ここの地名も場所も分からない。
廻りを見渡しても、住居と思われる長屋しかなく、店といえば、道端の屋台しか
見当たらない。

幹線道路沿いということで、交通量が激しく、また排気ガスも異様なほどに
辺りに撒き散らしていた。道を見ると、口にマスクをしたポリスが交通誘導をしていた。

通行人の中にも口を手で押えながら道を横切る人が居た。
空気も排気ガスにまみれて、どこか澱んでいた。
せっかくのいい天気も、排気ガスで、なんだか台無しに思えた。

「夕方に降る夕立が、朝から汚れに汚れた空気を洗い流し、澄んだ空気に
変えてくれるんだよ。なんだか上手くできているんだよね。
タイはね、”なんとかムリヤリこーしてしまおう”みたいなことをあんまり考えてない
ところがいいんだよ」

と、そんなことを、カオサンで会った、1年かけてユーラシア大陸を旅している
40過ぎの旅行者が語っていたことを思い出した。
その時は「そんなもんなのかなぁ」と思うだけだった。

「とにかくそのへんのタイ人に聞いてみようぜ」

と町田君が言った。

俺達は、とにかくその辺を歩き回り、同じくその辺を歩いているタイ人に、
その町田君の知り合いの女性の書いたメモを見せながら聞くことにした。

するとどうやら辿り着いた所が、メモに書かれた住所とは相当離れた
トンデモナイ所であることが分かったきたのである。

「おいおい!ここはプラ・ラーム・ハー通りだ。このメモに書かれている住所は
ホワイクワンだぞ!違う違う引き返せ!この先行ったらノンタブリーってとこまで
行ってしまうぞ!」

と、そんなに大きな声とアクションで言わなくてもいいじゃん!というくらいな
大袈裟な態度で言う、そのタイ人男に少々腹を立てながらも、
あの乗ってきたNo.63のバスの料金徴収おばさんと、63番のバスに乗れ!と
言った道端のタイ人の顔を思い出しつつ、そのいい加減さとヘラヘラ笑いに
俺達は相当、腹を立てていた。

時計を見ると、午前11時を少し廻ったところだった。

「どーするよ。先、そのホワイクワンってとこまで行ってしまうか、
それとも先に飯食う?」

とオキ君が言った。

「いや、もータクシーで言っちまおうぜ!」

と、早くその女性に会いたい町田君は言った。

しかし、その女性にも別に会わなくても、そんなことはどーでもいーよ的な俺と
ナリタヒデキはとにかく、その辺で休息を取りたかった。
この時間になれば、取り巻くすべてが酷暑・猛暑であり、照り付ける太陽の日差しが
俺達の体力を急速に奪っていった。

Tシャツに短パンを履き、サンダルという軽装ではあるが、なんだか
肩から吊るしているカオサンで買ったバック(と言っても小物用の民族意匠的バッグ)や
短パンの中に隠れるように腰に巻き、所持金すべてを入れている”腰巻”がやけに
重く感じた。

しかし、こういう時は、少しでも旅慣れて、そして明確な目的を持った旅人が
主導権を握ることが多く、俺やナリタヒデキみたいに主張というものをあまり
持たない人間は、とにかくその場で明確な目的と場所、そしていい旅と思い出を
演出してくれる旅人に委ねるしかないのである。

「とにかく、その女性に会いに行こーでないの!」

と、またオキ君が昨日の口調で行った。

「ホワイクワンだと、ここからだと、○○番のバスで行けると思うよ」

と、ナリタヒデキが、”バンコク・バスマップ”を大きく広げながら言った。
額から流れ落ちる大量の汗が、バスマップに零れ落ち、滲んでいた。

俺は内心、

「でたよ・・・・貧乏性。いいじゃんタクシーでよ。ここまで来て今更またバスかよ」

と思いながらも、口にはしなかった。

この4人の中では、とにかくナリタヒデキとオキ君が「節約派」であり、
俺と町田君がどっちかと言うと「快適派」であった。

でも、女性に会いに行くために、いくら半自主的とは言え、他の3人と道連れに
している町田君の立場的には、この場合は、やっぱり「節約派」に回らざるを
得ないようで、

「じゃーバスで行くべ!歩道橋渡って、とにかくあっちまで行くべ!」

と、相変わらずの山形弁で言いながら、ペットボトルの水を飲み干した。

明確な場所と、そして目的地までの時間が分からない、あのまるで時間が
ピタッ!と止まったように長い”果てしない道のり”と、そこから来る気だるさを
また感じなければいけないのかと、ヘトヘトになった思考と足取りで、でもとにかく
3人の後を付いていくしかなかった。

「しょーがねぇ。しょ~がねぇ~。とにかく旅に慣れる、バンコクに慣れるまでの
ガマンだ。初めての旅なんて、所詮コンナモノサ・・・」

なんて、一人自分に言い聞かせながら、俺もペットボトルの水を口にするしか
なかった。

プラ・ラーム・ハー通り沿いの歩道を、しょぼくれた犬が同じようにヘトヘト歩いていた。
とにかくノラ犬をよく見かけるのだ。やせ細った犬が多いが、それでも
排気ガスまみれの街と共存して生きているように見え、なんだか、やけにたくましく見えた。

景観上、一応植えてある木々も排気ガスまみれで、やっぱり、うな垂れて元気が
なさそうだった。こういうのも、あのカオサンであったユーラシアを1年かけて
旅をしている40過ぎの旅行者が言っていた

『タイはナンデモカンデモなすがまま・・。ムリヤリはムリヤリは・・・
イケナイイケナイ!イケナイのだ!』

ということなのかぁ、なんてボンヤリ思った。

あてのない、広いようで実は狭いそんな街の中を、とにかく次のバス亭まで
トコトコと俺達は歩くしかなかったのである。

この時はまだ、本来の旅の意味合いと取り巻く状況が変わり始めていることに
気づく由もなく、ただただトボトボと同じ所を廻っている感じだった。



(つづく)

微笑みの国で雨にウタレテ・・・90′s 其ノ十

2015/04/09

俺達が飯を食っていたのは、カオサンから一本奥に入った路地沿い
(ランブトリ通り)にある屋台街であった。そこら辺は、貧乏旅行者(?)と
いうか個人旅行者向けで、 “たとえ飯でも安上がりなのだ!”というスタンスの人が、
「飯はここで!」的に通っている場所で、おかずを選んでタイ米の上にぶっかける
“ぶっ掛け飯”やタイのチャーハン“カオ・パット”や、ラーメンの“バーミー”、
鶏肉のスライスご飯の“カオ・マンガイ”などが 15~25Bで食べることが出来た。

「せっかくタイに来たのによー!西洋料理なんか食ってられっかい!」
なんていいながら、よくせかせか通っていた。

話の決着を着けられないまま、俺達はカオサン通り沿いの、「160」と
書かれた看板がぶら下がっている所の路地を入った所にある、こじん
まりとした店に行った。

その当時は、路地の奥にはゲストハウスしかなかったようだけど、最近は
ディスコかなんかが出来たみたいで、妙に派手な格好をしたタイ人女性や
その尻を追っかけてきた(?)タイ人男達がひきりなしに通っていくので、
たまにその店に行くと、我ながら時の流れ行くさまを味わうのだ!なんて、
さえない輩(やから)面(ヅラ)して椅子に座るのである。
しかし、その店の店内はなんら変わっていない。

変わったといえば、その当時、まだ2,3歳くらいの少女が、すでに小学生
くらいの歳になり、そこら辺の小学生が校則で決められたタイ特有のあの
オカッパ頭でいつもの机に座りつつ、食事を運んだりと手伝っていることと、
その当時、店を切り盛りしていた、若いおねーさんが居なくなっていることで
あった。どこかに嫁いで行ってしまったのかもな・・・とそんなことを思った。

話を元に戻そう。
俺はナリタヒデキは、よくその店に、映画を見に通っていたのである。
夜はとにかく二人なんかでいると、ひたすら暇なもんだからよくこの店に来て、
俺達が好んで飲んでいた15Bの“レモン・シェイク”を飲みながら VCDの
映画を見ていた。メインは「ミッション・インポシブル」で、タイ語字幕のこの
映画を何回見たか覚えてないくらい見たものである。

その日も、おなじみのミッション・インポシブルを流していた。客はファランの
カップルが2組居て、映画に見入っていた。
俺達が、店の奥の方の席に座り、レモン・シェイクを注文すると、ちょうど
タイミングよくオキ君が一人で、相変わらずの白い帽子をかぶりながら
やって来た。元々、この店は、オキ君が教えてくれた店だった。

オキ君は、髭が濃い体質なのか、何ヶ月も剃ってないとは言え、やたらと
あごひげで 口周りが黒くなってきていた。オキ君はそんな髭をさすりながら、
「オネーチャン、シンハビアね!」って言った。

そう言えば、よく俺も、ウェーターとかタイ人女性を呼ぶ時は、よくジャパニーズ
的愛嬌 (?)のつもりで、「オネーチャンンン!」って呼ぶけれど、それはオキ君
の影響を 受けたものだった。オキ君は、必ず「オネーチャン!シンハビアね!」とか
「オネ~チャン、バーミー ワンね!」とか言うのだ。

なんかそれを見ていて、よく分からないまま「なんかいい感じね!」って思った俺も、
知らないうちにマネするようになっていた。でもそれは、よくよく考えてみると品の
ない言い方だなぁ なんて思っていたのも事実である。

「今日はどこ行ってた?」
と、俺はオキ君に聞いた。

「いや~今日は、バンランプーの辺りをブラブラ歩いていたよ。結局何も
買わなかったけどね。でも、バンランプーから町中を巡る運河を走るボートで
ファランポーン駅まで行ってきたんだ。 たった7Bかなんかで行けたよ。
それにしても、ボートの隅に立って、進路調節とか料金徴収とかしてる船頭と
いうのか、あの乗組員は運河に落ちないよね。それにちゃんと新たに乗ってきた
人の所まで来てカネよこせ!って言うしね。ひそかに“落ちたら オモシれーな”
なんて思ったんだけどさ、俺の方が降りる時に落ちそうになっちゃってさぁ」

なんて、相変わらず顎鬚をさすりながら言っていた。
横を見ると、ナリタヒデキも中途半端なあごひげをさすっていた。

オキ君は、どうやら、ブラブラと街ん中を探索してきたようであった。

「バンコクも中心部から少しでも離れると、見える景色とか景観は一緒だね。
1階がお店の長屋があるだけで、それもどんどん市内から離れると、
1階も住居のただのつまんない景観になるだけなんだ」

とも言っていた。

「どっか面白いとこある?」
と、あごひげを掻きながらナリタヒデキが聞いた。

「いやーよくワカンナイね。どこがいいかなんて俺にもワカンナイね。ホントにね。
でもサイヤムスクエアがなんか面白いらしいよ。でもただいろんなお店が
立ち並んでいる“若者の町”ってだけらしいけど」

「ふ~むむむ、そうか。俺はシーロム通りっていう所に行ってみようかとは
思っているんだけどさぁ、そこには行ったかい?」

と、ナリタヒデキが続けざまに言った。

「いや、、よく知らないけど・・・・」

とオキ君は、明らかに興味なさげに言った。

「いやさ、寺とかさ、大体の観光名所は行ったからさ、なんかその辺の街中を
歩いてみよーぜ!とか話してたんだけどさぁ、どこがいいかワカンなくてさ」

「この裏のバンランプーとかは行ってねーんでしょ?まずそこ行ってみれば?
ローカルな店が沢山あるよ。プラスメン通りの方まで行けば”ニューワールド
デパート”もあるし。」
と、オキ君は言った。

「ふむふむ・・ ”ニューワールド・デパート”だね。ふむふむむむ」

と、相変わらず、ナリタヒデキは中途半端なあごひげをさすっていた。

ふとTVを見ると、流れていた「ミッション・インポシブル」で、
主役のトム・クルーズ がなんか天井からぶら下がっているシーンをやっていた。
その横を見ると、クシャおじさんのように、いつも顔をクシャクシャしているような
感じの店のおばちゃんが、なんか炒め物をしていた。それは、エビ入りの
カオ・パットのようだった。

その顔を見て、いつもカオサンを歩いていたら、よく顔がクシャった
ハンモック売りのクシャおじさんを思い出した。
あれからかなりの月日が流れたが、クシャおじさんはまだハンモックを
売り歩いていたのだ。

ふとオキ君が話を続けた。

「そーいえば、町田がさぁ、明日、知り合ったねーちゃんの家を探しに行くって
行ってたけど、“一緒に行かねー?”って誘われてんだけど、ナリタとかも
一緒に行かない?」

「そーいえば、町田君は?」

とナリタヒデキが言った。

「奴は、一緒にサムイ島行った知り合いと、今、パッポンっていうとこに行ってるよ」

「パッポン?」

と俺が言った。

「いや、なんかゴーゴー・バーっていう、半裸のねーちゃんが踊る飲み屋らしいよ。
なんかストリップみたいな所らしいよ。タイの名物みたいらしいよ」

と、ナリタヒデキが、いつものように旅の知識をひけらかしていたが、やけに
“らしいよ”が多いのに気がついた。でも、どうやらナリタヒデキは、そーいうのには
興味がないらしかった。

しかし、そんな話を聞いている内に俺は、寺院、屋台、シンハビア、バーミー、
トクヤムクン、ノライヌ、トゥクトゥク、街の喧騒などの表面的バンコクの顔と
いうか姿の裏側に潜む“夜の素顔”というものに急速に惹かれていってしまって
いるのが分かった。

せっかくバンコクに来たのだから、そーいうところにも行っておかねばならん!と一人、
心の中の燃え滾ってきている熱い思いに、自分自身、まだ見ぬ“夜の素顔”に対して
新鮮さを感じていた。

「まぁ、そーいうことだからさ、もしよかったら明日、町田と一緒にさ、その知り合いの
ねーちゃんの部屋にいこーでないの!」

とオキ君は、また顎鬚をさすりながら言った。

俺はナリタヒデキからガイドブックを取り上げ、「ニューロード、シーロム通り周辺」の
ページを探していた。

狭い店の中でぐるぐる廻るファンに気がついた。ファラン共は相変わらず映画に
釘付けだった。オキ君は2本目のシンハビアをクシャおばさんに注文していた。

なんだか、その辺りから俺の中の旅の意味合いや、取り巻く状況が急速に
変わっていったのである。



(つづく)

微笑みの国で雨にウタレテ・・・90′s 其ノ九

2015/02/20

町田君やオキ君と夜中まで話し込んだ次の日、俺とナリタヒデキは、
カオサンから歩いて約20分程行った所にある寺、ワット・サケットに
行く事にした。

このワット・サケットという寺院は、別名「ワット・プーカオトン」といい
“黄金の丘”という意味だということを、雑学王のナリタヒデキが
教えてくれた。奴は、毎日々々、情報収集を怠る事なく、また
下調べ王でもあったから、なにかと役に立ったし、自分で調べる
必要もなかったから、何事も追求というものに果てしないメンドクサさを
感じる俺にとっては、“隣歩くガイドブック的便利帳”的存在でもあった。

しかし、そんなことが続くといい加減、ナリタヒデキも俺に一々説明する
のが億劫になってきているようで、だんだんと俺の

「これなんだよ?」
「ここどこだよ?」
「これはなんでだよ?」

なんていう無知ぶりに愛想を尽かしてきているのか

「自分で調べろよ!ガイドブック持っているだろ!自分ばっか
楽すんなよぉお!ふぅうむむ」

みたいなことを言うようになった。

「ワット・プーカオトン」は、ラーマ三世がアユタヤのプー・カオ・トーンを
モデルに造成したもので、その上にラーマ四世が仏塔を建造したもので
あるらしい。
仏塔の高さは約78mで、仏塔の周りが回廊になっているため、
バンコクが一望できるので有名らしい。
ガイドブックを確かめながらナリタヒデキが言った。

外壁を取り巻くようにして作られている螺旋状の階段を登っていくと、
仏塔へ行く ための部屋があり、そこで入場料10Bを払い上で出た。
昨日までの雨季模様とは違って空は快晴であり、カラカラ乾いた所に
吹く風が妙に心地よかった。

仏塔の袂の四方には、無数に括り付けられている鈴みたいなものが奏でる
音が妙に風と音とマッチしていた。
この鈴みたいのは、ここを訪れた観光者でも付けることができるとのことであった。
向こうを見ると、建設中のビルが何個も見えた。

「バンコクで一番高いビルは、 94階建てのバイヨーク2ビルだよ」

とナリタヒデキが教えてくれた。

回廊のベンチには、上座仏教本というのか御経本というのか、とにかくそんな
感じの本を読んでいるちょっと太めの僧侶が静かに座っていた。
瞑想をしているようではなく、しきりに観光客をチラチラと見ていた。

初めてのタイに来てから、やたらと寺院に来ていた。
はじめのうちは新鮮だったが、大体の観光名所といわれる所を巡ってきたので、
だんだんと飽きが来ていたのは事実であった。王宮も行ったし、チャオプラヤ川
沿いにそびえるワット・アルン、通称:暁の寺にも行った。

タイ最古の寺のワット・ポーにも行き、メインの寝釈迦像も見たし、ついでに
タイ・マッサージを受けてきた。
とにかくいろんな寺院を回ってきたが、なんだかこうも毎日、寺院寺院に来ていると、
みな同じものに見えてきては、なんだか新鮮味がなくなってきたのである。

毎日、日中は寺院巡りをして、夕暮れ時を迎えるとねぐらに帰り、近くの屋台で
頑なに辛いタイ料理を食べながら、シンハ・ビアをぐびぐび飲んで、日本の愚痴や
ナリタヒデキの愚痴や、なんだかやるせない青春のもどかしさをダベるのである。

元々、買い物なんかには興味がなかったし、今買うと荷物になるから、
特に土産物屋には行く必要がなかったこともあったが、せっかくタイに来たのに、
なんだか変わり映えのない毎日になんだか飽き飽きもしてきていたのも事実だった。


その日、それまで泊まっていたカオサンの“NAT”ゲストハウスをチェックアウトし、


オキ君や町田君が泊まっている、昨日、夜中まで飲んでいたラウンジのある
「サワディ・ゲストハウス」に移った後、オキ君等の姿が確認出来ないまま、
とにかく汗を洗い流し、ビールを飲みに行く事にした。

俺は、ビールを飲みながらナリタヒデキに、

「なー、そろそろ観光スポットばっか廻るのはよしてさ、そこらへんの
街ん中をぐるぐる廻ってみよーぜ!タイ人がどんな生活をしていて、何を食べて、
どんな所に住んでいるかもなんか興味あんじゃん!」

なんてイッパシのことを言ってみた。

とにかく、一人で下町歩き的町歩きをするのには果てしなく不安があったし、
方向音痴な俺にそんな芸当が最初っから出来るわけがないから、とにかく
旅人となるとなんだか不思議と頼りに出来るナリタヒデキに提案してみたのである。

「ふぅうむ。。いいけどどこ行くの?そんなこと言ったって、おまえはどこ行ったって、

無感動だし俺任せだし、“おーいぃい、ツカレタツカレタツカレタ・・・その辺の屋台で
休もうぜぇええ”しか言わないじゃん。それにすぐに不機嫌になるし。
そんなおまえと町歩いてどーすんだよ。何見るんだよぉぉぉおお!」

とナリタヒデキははっきりとそんなことを呟いた。
まぁ、確かにそうなのだが、飽きっぽい、熱しやすくて冷めっぽい俺が居るのも
事実だから、何にも具体的な事は言い返せず、

「あーおーうーおい、、」

なんて言いつつ、何も言わずふてくされた顔しながら黙ってビールを飲んでいる
しかなかったのである。


(つづく)

微笑みの国で雨にウタレテ・・・90′s 其ノ八

2014/11/28


町田君がサムイ島で知り合った台湾の女性は、男女4人のパーティで、
大学の夏休みを利用してサムイ島に来ていたとのことだった。
仲間構成は、その女性とその弟、友人の女性、そして同大学の友人男性で、
町田君があるチャウエン・ビーチ一帯のこじんまりしたバーで飲んでいる時に
知り合ったグループであった。

サムイ島はタイ1、2のリゾートで、一年中観光客で絶えない島である。
世界中から多くの外国人(ファラン)がやってきては、息抜きをしている所である。

日中は白銀の海岸線沿いで照り付けるギンギラギンの太陽の下で肌を
こんがり焼き、少し熱さがやかましくなってきたらエメラルドの海でその熱を
放出するのである。

そんな日中の嬉しい疲れを、夜はほろ苦いシンハ・ビアで癒し、さすらいの
弾き語り放浪野郎達が、ギターとパーカッションで奏でる粋でシンプルで
美しい音色に身を揺らしながら南国の風に吹かれるのである。

その南の島のバーで町田君グループと台湾女性のグループは出会い、
異国での異国人との出会いに興奮、祝福し、開放感に浸りながらひたすら酒を
飲み続け急速に酔いは深まっていった。
同時に南国の夜も深まり、そんな深まりと反比例して空の無数の星達の輝きは
増していった。

町田君達はそんな夜の星の輝きの下で、島中をバイクで走らそうということになり、
夜遅くまで開いているレンタルバイク屋へ行き、3台のバイクを借りたのである。
2人乗り3台のバイクは夜の島の砂利道を結構のスピードで走らせていった。

酔いもあってか、状態が悪く、昼間の夕立で溜まった水溜まりの多い道でも
彼らのスピードと開放感は増していくだけであった。
ふと、一つの峠を越えた辺りで、急に道の状態が良くなった。
それがスピードに拍車をかけたのだ。
そして、自分達がスピードを出しすぎていると・・そんなことになんとなく気がついた時
は、すでに時遅し・・であった。
知り合った女性の弟達が乗るバイクが対向車線を走る対向車と正面衝突を して
しまったのである。

初めての海外で経験するには想像を絶するような経験であった。
運転していたその彼女の弟は血まみれで動かない。
町田君達も台湾の彼ら達もここタイでは異国人であり、どーしたらいいか分からない。


それ以上に、混乱と動揺も 自意識できない程のパニックが彼等を襲った。

狂乱する彼女をそばにどーすることもできない町田君達は、対向車の運転手が
呼んだポリスにすべてを任せるしかなかった。

やがてノロノロとやって来たポリス達であるが、どこからどう見ても緊張感が
伝わって来ないのだ。

「どうした?倒れている奴はおまえの仲間か?」

とタイ語で聞くだけであり、特に急いで救急車を呼ぶ気配すらなかった。
そんなポリス達に苛立ちを隠せるはずもなく、なんとか英語で捲くし立てるのだが
伝わっている気配もない。
混乱・動揺・苛立ちの中で、町田君達は、対向車のタイ人にすべてを任せるしか
なかったのである。

町田君達がポリス・ステーションに連行され、事情聴取を受けたのだが、
ここタイの事情聴取は、ただタイ人担当官が記録をノートにだらだらと書き込む
だけであり、そこに事件への捜査・解決・そしてケアに向けたものは皆無に等しく、
不安をかき消すような要素はなかった。

そして、ようやく現場に到着した救急車に担ぎ込まれた台湾女性の弟の安否も
知らせてくれるはずもなく、目一杯の不安にかられた夜が明けるのに気付くのに
そう時間は掛からなかった。

翌日、やっと仲間達と合流出来た町田君達であったが、混乱する彼等から
弟の死を悟ることは容易であった。

なんだか分からないけれど朦朧とする町田君達は、何をどうしたらいいのか
考えることもできないまま、只々、彼等を置いてバンコクへと戻るしかなかった
のである。

逃げるようにスラターニーからバスで12時間かけてバンコクへと戻り、とにかく
冷静になるために、サムイ島へ行く前に居た同じ宿をとり、夕方から降り
始めた雨を見ているしかなかったのである。

そんな時、同じ宿に居た数人の日本人旅行者に出会い、カオサンのある
レストランへと出向き、そこでオキ君と知り合い、その後、屋台でダラダラと
シンハビアを飲んでいた俺らと出会うことになったのだ。


町田君のそんな経緯を聞いている途中は興奮覚めやらぬ感じの俺だったが、
一通りの話を聞き終えると、急速に酔いが体中を巡り始めた。
どうやら話に聞き入っているうちに、気付かないうちに相当量のビールを
飲んでしまったみたいである。

酒は好きだけど、でもあまり強くない俺は直下的な睡魔に襲われた。
時計を見ると午前2時を過ぎていた。
ふと廻りを見回しても、隣に座っていたドイツ人カップルも、カウンターの黒人も
他の客の姿もなく、相変わらず気だるそうなタイ人ウェイターだけが椅子に
座って顎膝を付いていた。

さっきまで黙って話を聞いていたオキ君が、

「俺達も寝よーぜ」

と言いウェーターを呼ぶと、眠気眼なそのウェーターはふて腐れたように
「460バーツ」と言ったので、それが気になったナリタヒデキは、さくさくと
500バーツを渡し、おつりの40バーツもチップとしてあげていた。
俺達もだいぶ疲れているようだった。

しかし、旅の興奮が体の芯あたりに蠢いている俺達は、朝、バイクや
トゥクトゥクやバスが吐き出す排気ガスや騒音を聞くと、
「おー!これがアジアの都市の喧騒や焦燥か!」
などと単純に言いながら、いつの間にか重く苦い疲れもどこかに
吹き飛んでしまっていたのである。

朝の直線的な雨と夕方の中途半端なダラダラ雨模様の隙を狙って、
俺達はバンコクの喧騒の街中を、これまたダラダラと、でも貪るように
歩き続けた。


(つづく)

タイで子育て奮闘記~ムエタイとワイ編

2014/11/17



3年前の話になるが、息子が3歳になったら、
やっぱり生まれた時からタイにいるのだから、
そしてタイ流に心身共に強くなってもらいたいという思いから一念発起し、
この3年間、タイの国技であるムエタイを習わせている。

自宅近所のムエタイジムに息子と一緒に入門(?)し、
大人子供用のグローブとバンテージ(拳を守る為に手に巻くもの)を購入、
たとえ大雨でも、激しいカミナリの日でも、週末土日のクラスに通っている。

特に予約は必要なく、行ける時に行けるシステムという
タイらしい自由制となっているが、かなり強い意志を思っていたし(!)、
また息子には早々に親父をしのぐパワーとスピード、体力を
身に付けて欲しかったので、週末土日のクラスはほぼ一緒通い、
汗をダクダク掻いている。

最初は勿論、遊び場と思い、ジム内を走り遊び回る息子であったが、
コーチと生徒のミット打ちやスパーリング、筋トレ、まともに受けたら
大怪我するであろうコーチの強烈大キックや膝蹴りを見ているうちに、
だんだんと真面目にミット打ちからやるようになり、そしてその時間も
少しづつ長くなり、気がつくと、様になった間合いとフットワークで、
かなり力強いパンチやキック、膝蹴り、エルボー等をするようになってきているし、
何よりも基礎が充実してきているように思う。
コーチとのスパーリングもだんだんと出来るようになってきた。

強制力などなく、とにかく子供にその環境に慣れさせ、
練習を見させ、自然に無理なく順応というかムエタイに触れさせながら、
やさしい眼差しとふれあいによる長い目で見た指導で成長を促していくというか、
自信と勇気と強さを身につけさせてくれる、そんなタイならではの環境と、
元ムエタイチャンピオンのタイ人コーチ達に感心と共に感謝する日々であるが、
近い将来、いつの間にか自分よりも強くなっている息子を、
強烈な親バカ的に楽しみにしていると共に、一方において恐怖に
慄いているのである。

また、せっかくだから、”師と両親に礼を示す”という意味を持ち、ムエタイの試合前に、
自己の競争心を高め、戦いの神に無事と勝利を祈る舞踊
「ワイクルー」も身につけてくれたらなぁ(!?)

ワイ(合掌)。
タイにおける教育で素晴らしいと思うのは、タイ人か外国人かに関わらず、
タイに住ませてもらっている上での基本である、挨拶や感謝の気持ちを伝える、
礼を尽くす時のワイの基礎を、分け隔てなくきちんと教え込んでくれることだなぁ、
と思っている(後の習慣化は親次第ではあるが!)

ムエタイを通じて、心身を鍛え、しなやかに強く逞しくなって欲しいと思うが、
”ワイなくして強さあらず”と言っても過言ではないほど、
礼節を重んじた強さと逞しさ、そして人生であって欲しいと思う、そして願う、
親バカコラムである。

微笑みの国で雨にウタレテ・・・90′s 其ノ七

2014/10/13

俺達が入ったゲストハウスは「サワディーゲストハウス」と言った。
1階がラウンジっぽくなっており、そこで飲物も注文できた。
10席程のテーブルがあり、その奥にゲストハウスのレセプションがあり、
気だるそうにタイ人スタッフが座っていた。

入り口の左側にカウンターがあり、そこには黒人が一人ポツンと座りながら
カウンター向こうのスタッフらしいタイ人女性と話し込んでいた。
ここに泊まるファラン(欧米人)は、ここで働くタイ人ウェイターを口説くことが
好きらしく、「彼女達もマンザラではないらしいぜ!」と、そんなことを町田君が
言った。
 
部屋を見せてもらったが、所謂、ゲストハウスの一室であり、カビ臭いし、
暑いし、ファンがやたら効かない等々、どーせ女性を案内するなら
最低三ツ☆のホテルにしろよ!と言わんばかりの部屋なのだが、
そんなことを俺がどーこー思っても、所詮、どーでもいい話であった。
 
正面の寺院は、ワット・チャナソンクラムといって物音一つしない夜の静けさを
象徴するような様相を呈する寺院だが、ノラ犬の溜まり場になっているようで、
奴らのヤケクソに吠える音が夜の静けさをぶち壊していた。
 
寺院を囲むようにゲストハウスが立地しており、特にこのエリアは、
カオサンの喧騒と、カオサンの日本的集団行動型団体を嫌っているような
ファランがよく利用しているようだった。
 
俺達はとりあえず店の奥へは入らず、路地沿いのテーブルに座った。
隣の席はドイツ人カップルらしく、男性は何か手紙のようなものをひたすら
書いており、女性の方はそんなのおかまいなし的に自分の本を読んでいた。

「もー長いこと二人で旅しているのだろうか?せっかくの夜なのに
喋りもせず、ただひたすら自分の事に徹して何がオモシロイんだ?」

などと、まだまだ未熟で大人の入り口にも入っていない俺は、ただただ単純に
そんなことを思った。
 
俺は懲りる事無くシンハビアを注文した。ナリタヒデキとオキ君はハイネケンビア。
町田君は「PLESE WAIT!!」などと言いながら結局はシンハビアを注文した。
 
夜も大分更けてきただけあって、風がさっきよりもさらに心地良くなった。
カオサンの喧騒の音は聞えてこない。ヤケクソに吠えていた犬もどこかに姿を
クラマシタようであった。

時折、カオサン通りとワット・チャナソンクラムの間のチャクラポン通りを
ハイスピードで走るバスやモトサイの音が聞えてきたが、酔いも深くなって
きただけあり、ほとんど気にならなくなっていた。
 
山形の大学の工学部に通う町田君がタイに来たのは、俺とナリタヒデキが
来る約2週間前のことであった。今回の旅は約1ヶ月とのことで、主な目的は
バカンスである。

町田君は一人旅であった。
「俺って一人でいることがダメなんだよ。タイには一人で来たけどさぁ、一人で
行動するのは嫌いなんだ。淋しがり屋なんだよね。だから泊まった宿で見かけた
日本人に声を掛け、イキナリ「サムイ島へ一緒に行こーぜ!」って誘ったんだべ。
バンコク来て4日目くらいだべ。」 

と、なんだか急に町田君の方言が露骨に表われるようになってきたことも
気になった。旅も中盤に差し掛かり疲れているのかもしれないな・・とそんなことを
思った。
 

旅にはいろいろなスタイルがある。
一人旅、二人旅、集団旅、所謂パック旅行などなど。
一人旅でも、旅の過程でそれが複数旅になっていくこともある。
でも大抵の場合、その個人々々の基本スタンスはやっぱり「一人」だ。
最後まで終始一人旅に徹していた旅人にも多く出合った。
また反対に、出国は一人で自称「一人旅」だが、現地にて仲間を作って
帰国まで誰かと行動を共にする・・・というスタイルの人もいた(少数派だが)。
町田君がこのタイプの旅人だった。
 
町田君は、さっそくバンコクの宿で知り合った日本人と一緒に深夜バスに乗り込み
一路、バンコクから南へ700kmの港町:スラー・ターニーへと向かい、そこから
ボートで約2時間の南国の島:サムイ島へ行ってきた話を話し始めた。

サムイ島では毎日飲みまくり、ろくな観光もせず毎日ダラダラと日々を喰い、
たまに海へ行って泳いではビールを飲み、砂浜で強烈な日差しを浴びながら
テキトーに肌を焼き、その肌を持って、夜はディスコに出向き、地元の
ねーちゃん達をナンパしていたよ・・・

というような話だった。南国の島の経験がグアム島しかない俺の中の、サムイ島
へのイメージが良くも悪くもエネルギッシュ的に膨らみ、次はサムイ島だ!などと
単純な俺は自分の中ですでにそう決めてしまっていた。
 
町田君一行は、サムイで一番賑やかなチャウエン・ビーチ一帯を行動範囲に
していたらしい。このビーチに洒落たバンガローやバーやレストラン、みやげモノ
ショップやディスコ等が集まっているため、観光客はほとんどここに集まる
らしいのだ。ツアー客は勿論、個人旅人も多いらしかった。

 
そんなある日、町田君は同じくサムイ島に旅行に来ていた台湾女性と知り合った
らしいのだ。
 
 
(つづく)


*「この物語は100%ノン・フィクションですが、登場する
 人物名及び団体名はフィクション(仮名)です。


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やたらと町田君シリーズが長いですね。
今、町田君はどーしているのでしょうか?オキ君は?
旅途中で知り合った人と、その後も長く音信通であることは
滅多にないですよね。
知り合ってアドレス等を交換した人達の中で大部分の人とは
すでに音信不通です。
今でも連絡を取りあっている元旅好人(旅好き)はいますが、
でも、ごくたまにです。。
 
中には今でも世界のどこかを旅している、旅を継続している人が
いるかもしれません。
 
昔、インドのプリーという街で知り合った人と、10ヶ月後、
僕の再びの旅行の中で、偶然、ある路地ですれ違ったのは、
初めての経験だったのでとてもびっくりしました。
 
よくある話みたいですね。
ある方も、ある中東のある街で知り合い、その3年後、今度は
中国を旅している時に、3年前中東のその街で知り合ったその人と
偶然逢ったとか!
それも旅の面白さ、醍醐味の一つかもしれません。