M&A月報 No.245「プミポン前国王陛下の葬儀」


連日連夜の雨が嘘であるかのような快晴であった。

10月25日よりプミポン前国王陛下の葬儀がはじまったが、翌26日は、中心的な儀式となる火葬の儀が執り行われた。

 

前国王のひつぎは、兵士らが担いだ輿に乗せられて午前9時すぎに王宮を出発し、王宮近くのラチャダムヌンノイ通りで、高さ11メートル、長さ18メートルの豪華装飾の山車のような車に移され、200名以上の兵士によって引かれ、5,000名以上の兵士らと共に王宮周辺をゆっくり廻り、午後3時前に高さ約50メートルの火葬壇の上部に安置された。

ワチラロンコン国王陛下やシリントーン王女らもご一緒に葬進された。

 

葬列の儀式であるが、タイ王室の伝統に則り執り行われた、厳かで洗練され圧巻そのものであった。沿道には15万人ものタイ国民が葬列を見送り、国民のプミポン前国王陛下への深い敬愛と尊敬と感謝がそこにあった。

 

火葬壇は須弥山をイメージしたもので、基部が60メートル四方、高さが50・49メートルに達する。守護神や神獣などの彫像70体以上が配され、金色に輝き壮麗である。

 

午後4時半頃より執り行われた火葬の儀では、40 カ国以上から王族・皇族や国家元首ら要人が参列し、ひつぎに献花された。日本からは秋篠宮ご夫妻が参列された。その後、火葬の前に奉納されるタイの伝統仮面舞踏(タイ語:コン)やタイ最古の伝統人形といわれるフンルアンの上演もあった。とても華やかで壮大で芸術的であった。

 

同日午後10時に火葬され、プミポン前国王陛下は天使となり天国に召されていった。火葬の際は、王族のみで執り行い、そこには、一連の儀式では拝見できなかったシリキット王妃も居られたかと思われる。

 

その後、プミポン前国王陛下を想い讃えるコンサートが火葬の儀の隣接会場で翌日朝まで開かれ、楽器演者、歌い手、踊り手、聴衆が一体となってプミポン前国王陛下を見送った。

 

一方、葬儀会場を訪れることができない市民のため、全国各地に追悼施設が設置され、多くの国民が献花に訪れ、プミポン前国王陛下と最後のお別れをした。献花では、まず花が渡され、誘導員の指示に従って並ぶ。

献花台の前で係員から花を置くよう指示され、一礼をしてから花を台に置き、もう一度礼をして出口に向かうという形式であった。「花をささげることが私がプミポン前国王陛下にできる最後のことです。大きな喪失感を感じていますが私たちは団結して、国を支えていかないといけないと思います」という国民の声があった。

そしてまた、黄色のスカーフをした大勢のボランティアの方々の献身的な働きぶりにも感銘を受けた。

 

プミポン前国王陛下は、「国家の安定と繁栄を導き、国民の暮らしの安定を心から配慮され、社会に貢献する国王」を実践してこられた。国民の暮らしを支え続けるそのお姿が「王室開発プロジェクト」などを通じて、国民ひとり一人と心の絆により結ばれているからこそ、国民が深い敬愛の念を抱き続けている。また、実質、立憲君主制であるにも関わらず軍事政権が長く続く国家の中において、司法や行政、軍部の調停役としての権威強化にも努められた。

 

プミポン前国王陛下が提唱し続けてこられた理念・哲学に「足るを知る経済( Sufficiency Economy )」がある。自らが推進、指導されてこられた「王室開発プロジェクト」は、1952年以降その総数約3,000を超え、それらプロジェクトは「足るを知る経済」理念・哲学に基づき、「人間の自立のための開発」を目的とし、地理的・社会的条件を合わせ活かした開発及び持続性を原則として、今も実践され、そして脈々と引き継がれている。

 

昨今の国家分断危機については、直接、裁定をされることはなかったが、これは、「国民が国家の危機を、自分達で考え、協力、一致団結して乗り越えていきなさい。そしてより良い国家を自分達の手で築いていきなさい」とのプミポン前国王陛下からのメッセージ、と受け止めている国民が大勢いる。

 

目下、全ては政府による良質な統制下にあり、そしてプミポン前国王陛下が望まれたように、タイ国に平和と安定が続けていくものと信じています。

 

あらためて、プミポン前国王陛下のご冥福を心よりお祈り申し上げます。