M&A月報 No.156号 「ラチャプラソン53」

 

アピシット首相が演出したロードマップと解散総選挙に対し、

赤組は一時受け入れを表明。和解ムードが漂い、占拠地域からの

撤収も期待されたが、赤組内の穏健派と強硬派で意見が分裂した。

 

セー・デーン(赤い参謀)の名で知られたカティヤー陸軍少将を

はじめとする最強硬派幹部は、もしデモを解散し警察に出頭した

場合、公正な司法手続きを受けられるかどうかの不安を払拭出来ず、

その確認のため先の騒乱時の刑事責任追及という形でステープ副首相に対する

警察への出頭を要求しつつ占拠を継続した。

和解ムードは壊れ、堪忍袋の緒が切れた首相は解散総選挙提案を

白紙撤回してしまった。

 

弊社は治安部隊とデモ隊が睨み合いを続ける交差点近くにある。

ビジネス街爆発事件の時は情勢を見つつ営業をしたが、治安部隊が

占拠周辺の道路を封鎖、占拠地域一帯のインフラ遮断の措置に伴い

公共交通にも影響が及び、また、大規模衝突再発の可能性が非常に

高くなったため、遂に臨時休業とした。

 

政府より上記措置の公式発表があった日は早めに帰宅する人が

公共交通に殺到、至るところで混雑が起きた。

しかしながら、満員の高架鉄道の車内より占拠地域と隣接するゴルフ場を見ると

一触即発の情勢にも関わらず、キャディーを伴いゴルフを楽しむタイ人がいるではないか。

 

フェンス1枚を隔てたその隣では、デモ隊が治安部隊と睨み合いをし、

その上を衝突・騒乱から避難する満員の電車が走るといった

緊張と弛緩がごちゃ混ぜになったタイ独特の様相を呈していた。

首相がテロリストと名指ししていたその陸軍少将が、

外国メディアによるインタビュー中にスナイパーにより頭部を銃撃された。

 

誰が狙撃したのかは明らかにはされてはいないが、

白昼堂々の行為に衝撃が走ると共に、かねてよりスナイパーによる

狙撃を警戒していたのにも関わらずの無防備さであった。

このままでは終わらないと、最もインパクトのある先制攻撃に打って出たのであろう。

今の日本ではあり得ない、さながらゴルゴ13の世界である。

これを皮切りに衝突が断続的に発生、先月以来の大惨事再来となる。

 

さすがに封鎖、衝突地域近くには近づけないため、テレビやラジオ

などで情勢を確認していたが、現場近くでは大勢の取材陣が見受け

られた。驚いたのは若い女性の記者が大勢いるということである。

黒い防弾チョッキやヘルメットで防御しながら、

衝突地域から懸命にリポートする姿は、なかなか日本で見受けられない光景であろう。

 

兵糧攻めが続く中、益々穏健派と強硬派の分裂が激しさを増しているが、

それは幹部同士の対立であって、多数の集会参加者は自分の

意思で占拠を継続しているのではなく、村八分を恐れて嫌々との話を聞いた。

 

地方から村全体で上京、集会に参加している人は少なくなく、

大半はそろそろ農閑期が終わるこの時期、田舎に帰り農業に従事したいと思っているのだが、

幹部は勿論のこと、幹部に追従するリーダーにも逆らえず、もし勝手な行動を取れば

報復すると脅され、IDカードも没収され、身動きが取れず不安な日々を過ごしているのだという。

 

女性や子供、高齢者も多い占拠地域を強制排除するのは困難を極め

る。赤組を支援する露天商なども多く、政府は“包囲”“物流阻止”“幹部逮捕”という圧力と

心理作戦を絡めた持久戦による赤組疲弊の戦術で占拠地域を奪取するしかないと見ていた。

しかし、さすがの首相も政府もしびれを切らしたのか、徹底抗戦の構えで実弾の使用も可とした。

デモ隊の応戦にも怯むことなく占拠地域の奪還を目指し、じわりじわりと包囲網を狭め、

圧力をかけていく。 また女性や子供、高齢者を巻き込まぬよう、

近隣寺院を安全ゾーンとして退避を呼びかけた。

 

治安部隊は政府命令に基づき、法の厳格な施行を徹底している。

しかしながら、中には政治信条的に赤組派の軍人もいるはずである。

なぜなら、今の政権や首相は2008年の黄色組による空港占拠及び

そのタイミングでの司法判断によって誕生した、総選挙の洗礼を受けていない

黄色組派であるからである。

 

黄色組が暴動を起こしていた時は、選挙で選ばれた政権や首相の言う事を

聞かずクーデターをちらつかせ、警察と共に暴動の強制排除に対し躊躇いを見せていたが、

一転、対赤組に対しては対黄色組の時のような躊躇いをほとんど見せないからである。

軍内部における目に見えにくい赤組 VS 黄色組の対立も、この国の

行く末に大きな遺恨を残していくことになるであろう。

 

一部強硬派幹部は「死が民主主義と正義をもたらすなら、死ぬ用意もある」と言っているが、

それは赤組の総意ではない。

和解ムードを壊し、駄々をこね、村八分を恐れなかなか自己主張できない多数の穏健派を

強制的に巻き込み、衝突を重ねる一部の強硬派のために占拠が長く続き、

国家分断危機の溝は深くなる一方で多大なる国益を失っている国家に、

タイ国民もそろそろ疲労を感じ始めているだろうし、自信も失いかけているかもしれない。

 

国家の危機を、国民が自分達で考え、協力、一致団結して乗り越え、

そしてより良い国家を自分達の手で築いていかなければならない、と分かっているのだろうが、

残念なことに、目下、赤組 VS 黄色組 VS マルチ色組という対立構造は根深く、

タイ国民自身もその解決策をなかなか見出せずにいる。

 

よく「タイには3つの“あ”がある」という話を聞く。

-あせらず、あわてず、あきらめず-

「この3つの“あ”というタイ流をもって、タイらしく時間はかかるけれどもいずれ問題は解決するんだよ」

 

今までで言うタイ流の急先鋒たる方式は、「腐敗・汚職政治には

クーデター、軍・警察の突出には民主デモというバランス感覚と

国王陛下裁定」というお話を聞いたことがあるが、今回の問題は

それからさらに複雑に進化した出口の見えない長いトンネルのようになっている。

それはタイ流民主主義を輝かせたというタクシン氏をきっかけとする

相当根深い階級社会的問題であろう。

 

このような時であるからこそ、新しい思考に基づく新しいタイ流を生み出して

行かなければいけない時なのかもしれない。

それ故に、若きリーダーの首相には大きな期待が寄せられている。

そして、アナン元首相が指摘したように、国民に対する民主主義の再教育も必要かもしれない。

 

プミポン国王陛下及び王室、そして上座仏教というタイ国民の心の拠りどころは

タイという国家に深く根付いている。

そこから生まれる自然な余裕と自信、そして独特なバランス感覚に

裏付けられる形で、新しいタイ流を生み出していくことを国民自身が一番望んでいるはずである。

 

餓えがなく、豊富な大地、恵まれた土質、豊富な水、一年中輝く太陽と農業技術力に

恵まれた微笑みの国タイ。

焦ることもなく、ゆっくりと自分の人生を謳歌している微笑みの国のタイ人。

一刻も早く、タイ王国本来の姿に戻ることを切に願うばかりである。

 

首相は「もう後戻りはしない。デモ解散が交渉に応じる唯一の手段」

と強気の姿勢を崩さない中、赤組もデモ解散に応じる気配もなく、衝突は断続的に続いた。

 

封鎖・衝突地域一帯のほとんどの企業が臨時休業とし、また日本大使館も仮事務所を設置した。

多くの日系企業が家族を一時帰国や郊外への避難させるなどの措置を取る中、

銃弾が飛び交う衝突地域のど真ん中におり、軟禁状態・逆兵糧攻めを余儀なくされた日本人も多くいた。

 

死傷者が増える中、政府はついに強制排除に踏み切る。

2006年、軍が当時のタクシン首相をクーデターで失脚させてから

続くタクシン氏をきっかけとする国家の混乱を軍自身が後始末をつけるのだ、

といった軍の意地と気概が見て取れる。

 

治安部隊は戦場を想定した作戦として装甲車を使用。

作戦名は「ラチャプラソン53」。

今年が仏暦で2553年より“53”が付けられた。

本営を目指し1方面から進攻することで集会参加者が3方面へ逃げることを想定。

また、強硬過激派が占拠、銃撃拠点としていた2つのビルの制圧を重要作戦とした。

 

装甲車がバリケードを破り両ビルを制圧。本営に迫る中、あっさりと赤組幹部は投降を決意。

「これ以上の死傷者は見たくない。一旦ここで解散はするが、これ

で終わりではない。我々の戦いはまだ続く」

とスピーチして、国家警察に出頭した。

 

その模様を近隣のタイ人が大勢集まる場所にあるTVで見ていたが、

タイ人らはそのスピーチの内容に大ブーイングを浴びせ、スピーチの最中に鳴り響く

銃撃音に恐怖感を露にするその幹部の表情には失笑していた。

そして、警察署内の国王陛下肖像画にワイ(合掌)をする姿には無反応であった。

 

解散スピーチ後に集会参加者がすぐ立ち去らなかったのは治安部隊側の誤算であった。

紛れ込んでいる黒組と称する統制の効かない一部過激派による無差別発砲を懸念し

進攻を中断している間に、普段から社会や境遇等に不満を鬱積させている

一部便乗集団(大半が貧困層の10代の若者)が共に暴徒化し、奪略や襲撃、

放火などのテロ行為に及んだからである。

しかしながら、治安当局の見解では計画的犯行との見方もある。

 

攻撃が止む事なく続いたため、消化活動が捗らず、火の手は一気に

広まり、ニュースの映像にもあったように、バンコクの空を黒い煙が覆い、

テロ攻撃というものを間近に感じた。

 

今回、騒乱が長期化、泥沼化したにも関わらず、タクシン氏を追放した都市部エリート層が

後悔している様子は全くなかった。

地方農民層を政治に参加させることによる大衆の政治参加型は本来の

タイ流民主主義ではないという考えなのだろうか?

 

確かに幹部投降後、残党組共が前述のような無教養なテロ行為に出てさらに

国家や国民を混乱に陥れたこと、首相が和解案と称したロードマップを提示し、

一時受け入れを表面したにも関わらずさらなる要求を叩きつけて

占拠を継続したことなどを考えると、交渉相手や政治参加の対象としては

もはや見れなくなっているのかもしれない。

 

赤組による占拠解散後、全チャンネルで“タイ王国とは国民が一致団結、協力し合う一つの国家”“

タイは平和な家族であり農村国家”であることをアピールした映像が放映されたが、

国家・国民が新しい思考に基づく新しいタイ流を生み出して行かなければ、

国民は、互いを傷つけ、互いを信頼せず、国家分断は深まる一方であろう。

 

今年の年初に、国王陛下は国民に対してメッセージを送られた。

 

「人々は自分の出来る事、自分の社会における役割を熟慮し、最善を努めて欲しい。

社会のために各人が尽くす事を最も考えて欲しい。社会が良くなれば、それは長続きするし、

人々の幸せに結び付くものであるし、それによって国は繁栄するのである」

 

首相は、騒乱の総括として演説を行った。

 

「事態は収拾、正常化しつつある。意見対立はあるだろうが、

共に国家再建のため努力していこうではないか。

騒乱では多くの命や資産が失われ、タイの歴史上、深い傷跡を残した出来事であった。

軍事行動に対しては理解して欲しい。無実の人々の命を最も重視し、法律、国際基準に沿い実施した。

損失は最小限に抑えることができた。

被害者には鋭意支援をしていく。

また法を犯した者へは厳正に対処する。

経済・社会的な構造問題は確かに存在する。

それをロードマップに沿って各分野の改革に取り組むことによって是正していくことを約束する」

 

果たして、改革に努め、且つ総選挙を実施し、国家分断危機を乗り

越え、国際社会からの信頼を取り戻し、恒久的に平和で安定、繁栄

し続ける国家を作り上げていくことができるのであろうか?

首相の清廉さと正義、志と手腕に期待したい。