M&A月報No.137 「流血事件再来とTV経由のクーデーター」

 

10月5日のバンコク都知事選当日、首相府占拠を続ける反政府市民団体
「民主主義市民連合( PAD)」の実質的トップである元バンコク知事の
チャムロン氏が国家反逆容疑で警察当局に逮捕された。
国家反逆罪の場合、有罪が確定すると死刑か終身刑となる。

その2日前には、PADの同じく幹部のチャイワット氏が逮捕されており、
「首相府を出れば逮捕」という警察当局よりの警告に反し、
あえて都知事選の投票に行ったことより、チャムロン氏自身、
逮捕は時間の問題と想定していたと思われる。

チャムロン氏は元軍人である。
1985年から1992年までバンコク都知事を務めたが、92年5月には、今回同様、
大規模な反政府活動を主導、事態の鎮圧に出た治安当局による無差別発砲
により数十人が死亡する流血事件に発展。
首相と共に国王から叱責され、知事解任。
一時逮捕され、その後おとなしくしていたが、2006年より、自らが政治の世界に
引き入れたタクシン氏の強権的姿勢・政治手法を批判する反タクシン運動を
主導、懲りない人物と称されている御仁である。

逮捕前には「祖国の恩に報いることが我々国民の義務である」という声明を
出していたが、サマック前首相の退陣後、確固たる闘争目標を持たず、
迷走しかけていたPADに対し、この不当逮捕を新たな政権攻撃材料にする
ための仕掛けとも考えられていた。

その思惑通りか、2日後の7日、チャムロン氏の逮捕及びソムチャイ首相の
施政方針演説を阻止するため、PADは国会封鎖の動きに出た。
これに対し、警察は催涙弾を発射、ゲートの1つを奪取。
一方PAD側の一部も警官に対し発砲、刃物で攻撃など暴徒化した。

施政方針演説は前例ない短時間で行われたが、その間、再度国会がPADに
よって封鎖されたため、首相及び議員達は国会に缶詰状態となった。

首相はヘリで脱出。残された議員達も隣接するチットラダ宮殿経由での避難を
試みるも、王室事務局の反対に遭い脱出出来ず。
夕刻、警察による再度の応戦によりようやく脱出するも、当の衝突は夜まで続き、
双方合わせ死者2名、負傷者478人を出す惨事となった。
92年の流血事件以来の惨事である。
PAD側と交渉を続けていたチャワリット副首相は同日辞任、対話による解決が
期待されたパイプ役は早々の御役御免となってしまった。

一方、この度の衝突を受け、国王側近で枢密院議長のプレ ム氏と
アヌポン陸軍司令官が早速会談したと報じられた。
前回のクーデターの黒幕とも称されるプレム氏は、軍による事態掌握の決断を
すべきとの考えを示すも、アヌポン司令官は軍の介入を避け、対話による
平和的解決の姿勢を示したと言われているが、当のアヌポン司令官はプレム氏
との会談を否定している。

もし、万が一、再度クーデターが勃発した場合、国の信用・威信がさらに大きく
傷つくことは明白であるが、世界的金融危機と重なり、さらなる経済に与える
悪影響も避けられない。

国王は、まだ具体的な行動は起こされてはおられない。事態が深刻化し、
騒乱が乱発、民主主義の根本が崩されるような状況に陥った場合、92年の時の
ように自ら表に出てこられ、解決をされるかもしれないが、現状は司法に任せて
おられるのであろう。

その司法であるが、昨今、国王や長老達に勇気付けられ頑張っている。
先のサマック前首相の失職等、反タクシン的な判決を連発しているが、
今回も、高裁はPAD幹部に対する逮捕状の容疑の内、国家反逆罪、
反逆共謀罪の取り下げを決定した。
それに伴い、同じく逮捕状が出ていたチャムロン氏等以外のPAD幹部は
警察へ出頭。同日保釈となり、改めて反政府活動の継続を表明した。

また、今回の騒乱で亡くなったPAD側の女性支援者の葬儀をシリキット王妃と
ジュラポン王女が主宰された。
シリキット王妃は「国のため、そして君主制を守るために尽くした」とお言葉を
述べられた。
PAD側は、今後ますます勢いづいていくための後ろ盾を得た気分であろう。

こうも慌しく、色々な事が次から次へと起こるなと思っていた矢先、今度は、
最高検が憲法裁判所に、最大与党国民の力党(PPP)の解党処分の申し立て
を行った。
今年7月、最高裁がPPP副党首だったヨンユット氏の選挙違反罪で有罪判決を
下した。これを受け、選管が選挙違反の党ぐるみを認定、最高検に告訴という
経緯があった。

解党命令が出されることは確実視されており、その場合、タイ愛国党の時と
同じように党役員全員の公民権が5年間剥奪され、政権は崩壊する。

判決を待たずに下院解散、総選挙で再度民意を問うか、それとも辞任か。
ソムチャイ首相は苦渋の決断を迫られていると思った矢先、今度はアヌポン
陸軍司令官はじめ、軍・警察のトップがTVに出演。
冷静且つ厳格な表情でソムチャイ政権に対し、駄目押し的に苦言を呈した。


“今回の騒乱における警察の対応が流血事件まで発展したことに
深い後悔を感じている。警察庁長官には、騒乱勃発時、PAD側が
退散するまで軍は何もしないと伝えた。
これは私一個人のことではなかった。軍全体のことである。
我々はあくまでも国民の立場に基づいている。
我々は武力行使に出るようなことはしない“

“今回の警察による対応(徹底的措置)は政府の命令によるも
のである。であるならばそこに責任が生じる。これは政府に
プレッシャーをかけている訳ではない。ただ誰かが責任を取ら
ねばならぬと言っているのである。誰も血のプールに居ること  
は出来ないのだ。もし私が首相ならば辞任しているだろう“

TVを通しての不意の一撃にソムチャイ首相は早速反撃に出た。

“現政権は選挙で選ばれた正当政権であり、仕事と責任を投げ出す
わけにはいかぬ。憲法改正を見届けるまでは辞任はしない。
下院解散もない。昨今の干渉は政府としてとても不快だ“

自身の辞任及び下院解散説を早々に吹き飛ばし、徹底抗戦に出た。

ただ、首相自身、11月のカラヤニ王女の葬儀を無事執り行った上で、
憲法裁判所の解党命令の前に解散・総選挙に打って出るつもりであろう。
次回総選挙でも、勝算はある程度想定しているかもしれない。
ただし、PAD問題を解決しないと根本的な解決にはならないし、また王室
及び現在もって反政府寄りの司法も無視できない。

いずれにしても、はるか遠方の英国よりリモート操作するタクシン氏が
これら問題のキーパーソンであるのだが、そのタクシン氏についに
最高裁が有罪判決を出した。
国家汚職防止法違反(国有地の不正取得)に対する判決、禁固2年である。
一方、前回、脱税と偽証で禁固3年の一審判決を受けたポチャマン夫人は無罪。

タクシン氏の求心力及び影響力の低下は必至で、一族の資産の没収は
時間の問題。
政府による英国対するタクシン氏の身柄引き渡しの圧力も強まるだろう。
英国司法当局が、1911年の英タイ犯罪者引渡し協定に基づきタクシン氏の
身柄を引き渡すかどうか、今後のタイ政情を左右する非常に重要な判断を
迫られている。

ただ、タクシン派勢力の勢いは衰えていないように見える。
先の騒乱で亡くなったPAD側の女性支援者の葬儀をシリキット王妃が主催
されたことに対し、王妃のシンボル・カラーであるブルーのダイヤモンドの指輪を
はめた怪物の足の絵を掲げ「民主主義は一体誰の足の下に存在するのか?」と、
明らかに王妃・王室批判とも取れるメッセージを発し始めた。

一方、王妃の擁護を得たPAD側も、国王側近による和解案を、何故か恫喝を
もって拒絶。

また、昨今、王室批判のWEBサイトやラジオも出現し、政治対立に端を発する
王室批判が目立ち始めた。
この王室権威が揺らぎかねない憂える事態に、平和的解決を望むアヌポン
陸軍司令官も「対立に王室を利用する行為には厳罰を処す」と苛立ちを隠さない。
冷静沈着な御仁であるが故、堪忍袋の緒が切れないことを願うばかりである。

さて、すっかり一連の騒乱の影にひそんでしまった感のあるバンコク都知事選だが、
大方の予想通り、民主党副党首のアピラク氏が大差で再選した。
前回の投票率62.5%を下回る54.18%であるにも関わらず、得票率は約99万票と
前回の91万票を上回り、ここバンコクにおける、現政権下における唯一野党の
支持者の多さが示された結果となった。

アピラク氏は「グリーン・バンコク計画」「公共交通機関改善」等を公約に掲げて
いるが、長きに渡っての無計画な都市計画、つまり、都市開発と交通基盤整備を
連動させる視点及び仕組みである「土地利用交通総合計画」が欠如してきたことの
ツケや代償は計り知れないものがある。

都市の骨格を形成しているのは「土地利用」と「交通」である。
アピラク氏には、ぜひ、アジアの重要都市の一つでもあるバンコクの安定且つ
魅力ある都市づくりに尽力してもらいと思う。
ひょっとしたら、近い将来、東南アジアで初めてのオリンピックがここバンコクで
開催される日も来るかもしれない。